海の箱庭から

今日は用事の帰り、池袋のサンシャイン国際水族館に行ってきました。
水族館や動物園にはいるとその姿に感動を覚えるよりむしろ(生物の研究のためにもなるとは知りつつも)自然に対する人間の奢りを見るようでかすかに苦い味を感じます。その気持ちをとりとめのない文章に。

限られた空間の中で育つ彼らは、人間が気づかないうちに独自の文化をつくり上げ、何十年何百年後に外の世界に還った時に「壁は崩れた。全ては変わってしまった。」なんていいながら、保守派と改革派に分かれて集団のバランスをとってゆっくりと外の世界に溶けていくのでしょうか。
それとも近い種族と一緒に「○○族」なんて自分たちを呼んで、いつのまにかその「○○族」らしくなっていくのでしょうか。そして、水族館経験者の彼らは「人間通」なんて呼ばれたりして。
・・・けれど実は案外この「箱庭」にも不幸な(いや生存に支障ない分とても幸福な)新入や餌が近海産から遠洋産になるような微妙な変化、あるいは飼育員の対応や来場者の反応などからそれとなく外界の様子が伝わっているのかもしれないと想像すると水族館の限界を感じたようでなぜか安堵を感じました。もっとも水槽の中の魚たちは、人間が現時点で推測する最もその魚らしい方法で育っているせいなのか、イワシにしても○○カニにしてもとてもおいしそうには思えず、あるいはこれは自分の生物としての退化のせいかも、いや本物の海の中で出会えば食べたくなるのかもなどと思いながら、帰路についたのでした。