The kindhearted space

 今日のさいたまはよい天気です。
 一時期は自分の机の上の書類やメモの類まで断片化し、てんでバラバラな方角に吹き飛ばしてどこかの乱気流に投入しそうだった部屋まで到達した北風も、他の温かなところから吹いてくるまわりの風のおかげか幾分やわらぎ、他の地方でもそうだったように視界まで奪いかねない突風の回数も大分減ってきました。それとともに同じ北風の中にさえ、温かな所の果物の香りをほんのわずかにしても含むようにも感じられます。
 最近、ブレヒトの「ガリレイの生涯」を10年ぶりぐらいに読んでいます。教会の教えに反して地動説を唱え、異端審問にかけられた際に自説を撤回した後、有名な言葉「それでも地球はまわっている」と呟いたかどうかはさておき、彼が科学者として審問に際して、真理を確信し続けることができたことにも畏敬の念を抱かざるをえません。
 一神教を信じているわけでもなく、それほど科学的でもない人間にとって、絶対的なものでさえある意味では相対的な尺度の積み上げにすぎず、物事に対してシンパシーや共通認識が存在するのを感じとれることがなによりの支えとなることがあるということを実感しています。




ガリレイの生涯 (岩波文庫)