内側の世界で

 ブログの更新をする前にアメリカではオバマ大統領が誕生し、日本は暦の上では春のようです。
 21日未明のの大統領就任演説は、私もテレビでリアルタイムで見ていました。二ヶ国語放送には慣れているはずなのに、演説するオバマ大統領の声や文章が明確なためなのか、英語と同時通訳される日本語と会場のざわめきのようなものが同時に聞こえて、耳のなかで混ざり合ってしまい、外国語放送に切り替えられるのだと気づいた時には演説も終盤。先程youtubeでもう一度聞きなおしてみたのでした。
 アメリカの経済の悪化という現実を直視しつつ、それも(アメリカがこれまで同様努力するならば)一時的な試練(落ち込み)であるとの趣旨で解決する意志を演説にしては幾分抑えた調子で話していることがかえって印象に残りました。ある種の危機に際して、悲嘆を表したり、叫ぶような口調で話すとなにやら愛国的であったり、親身であるかのように感じられがちですが(事実その表れである場合もあるのでしょうけれど)、解決の行動力やアイデアがそこから生まれるかとは一概にリンクしないもののようです。人が理解し、行動するのに適した音声や内容の「周波数帯」のようなものが仮にあるとして、オバマ大統領の話は現在のアメリカ人とおかれた状況に適応した「声」であるのかもしれません。
 そして、私がもしアメリカ人であったならば”For us, they packed up their few worldly possessions and traveled across oceans in search of a new life.”で始まる"For us"で括られたくだりに自分の中の「パイオニアの記憶」を刺激され、その情景が脳裏に浮かんだと思います。アメリカが対処する状況と解決策が「新しい」ものであっても、この危機を克服する源はやはりこのパイオニアマインドなのでしょう。また”To the Muslim world”ではじまる世界へのメッセージは、アメリカから世界に向けた言葉というよりむしろなにか「内側」に向けた言葉のように感じられました。人が内面を顧みる視線や口調が自然とどこかしら抑えたものになるように、大統領のメッセージは「仮想の敵」によって誰かを鼓舞するような「幸福な」時期は既に過ぎたことを暗に示しているのかもしれません。世界がグローバル化していく過程で、アメリカは優等生として模範を示し続け、リードしてきたことはきっと事実なのだと思います。けれど、今日のようなある程度グローバル化が進行した状態ができると今度は世界のある地域の情勢はアメリカにも密接に影響する一方で、コントロールできない要因は増えているかのようです。この状況にアメリカの人々がある種の歯痒さを感じていることをそっと代弁しているかのように感じられました。
 現在の世界情勢を前提として、アメリカが、オバマ大統領がどのように行動していくのかに私も関心を持っています。