an atmosphere

 場の雰囲気とは何かをときどきふと考えていることがあります。 ある辞書によると雰囲気とは「その場にかもし出されている気分」のことだそうです。いまだ定量化されていないにしても、おそらくその場の物理的な明るさ、温度、音、匂い、風通し、湿度などに加えて、これは結局人が感じるものなので当たり前ですが、人口密度やその場を人がどうとらえているか、あるいはその価値観が影響しあって再生産されたものも当然含まれると私は思います。これは一見バラバラに存在するものでもある一定の範囲でみるとなにかの法則が働いているかのようでもあります。以前、営業でお客様の企業に訪問した際、どこかピリピリして鋭角的な動きをする人たちに出会ったり、はたまたこれは日本の「シエスタ」かとおもうほど(ちょうどお昼すぎだった)ゆったりとした時間に遭遇したりもしました。
 現在、私はCTP(コーチ21のコーチトレーニングプログラム)を受講しています。これは、電話会議システムを使って行われ、クラスのコーチと10名程の参加者が一同に電話を使って1時間ほど意見交換をしたり、レクチャーを受けたりするものです。この場の雰囲気は、既にコーチをしている人やこれからコーチになる人が参加するプログラムということもあり、相互に「牽制」するような重々しさや隙あらばどこかに居合をお見舞いしようとするような「殺気」もおよそ感じることこそありませんが、それでもクラスがはじまって間もない時間は、どこかぎこちなく張りつめた、クラスの参加者の声が聞こえるとは別に、雪の降る前や降りはじめのようなあのシンとした静寂を感じることがあります。このフェーズではちょうど自分が草の合間から広場をそっとうかがうウサギになったような気もして一人で仄かな可笑しさを覚える時も多々あります。それが、コーチやある参加者の発言や「気づき」、声そのものや時にはユーモアをきっかけに、雪の呪縛が解けて春がきたような、あるいは(物理的に脳内でおこっていることなのかもしれませんが)すこし滞っていた血液が流れるような「熱」を感じる時間を多く経験しています。そこには、20年ものの電話機のプラスチック製の無機質で少し重たい受話器を通して伝わるものというよりは、どこか任意の場所に既にいるような、あるいは音声を通して脳に風景が再構成されるような立体的な「明るさ」を感じます。これはクラスの内容や学びとはまた別に、肯定感のある、なぜかほっとする瞬間です。 私も「やさしい声」たちの存在するクリエイティヴな場所を作れたらと思います。

追伸)ふと気づくとこのブログも更新が滞りがちなっていました。すくなくても一週間に一度は更新することにしました。