ある回想〜その1〜

 「あなたにとってとても印象に残るキスの思い出をひとつあげるとしたら?」と聞かれて、ある人なら幼稚園の頃の自分よりも幾分背の高い子との事故のようなチューを思い出すかもしれないし、あるいは中学生のころの一生懸命なそれを脳裏に浮かべるのかもしれません。
 けれど、私の場合は25歳の頃、場所は鹿児島県南部の洋上に浮かぶ、豊かな自然で有名な屋久島で、相手はなんと野生の鹿。今となってはその子が女の子か男の子だったかさえ定かではない。当時、ストレスをかなりため込んだ上に、それだけにいっそう考えごとでいっぱいだった私は屋久島の標高1,200メートル強の、人が通る林道から100メートルほど林の中に入っていったところで昼間だというのに寝袋に体をつっこんであれこれと考えているうちに、いつのまにか眠っていたのでした。ふと気づくとこころなしか体の前面に熱を感じて、目をあけて起きようとするとそこにはなんの動物かわからないつぶらな瞳ととがったような口がぴったりと自分の顔にくっつき、その前足は寝袋でしっかり梱包された私の胸の上という有様でした。どうやら驚いたのは鹿も同じのようで、ものの2、3秒の後には、ばねのある足で飛び退り、10メートルほど下の傾斜のある林を駆けて、あっというまに見えなくなっていました。あのときの悲鳴が、鹿のものだったか、あるいは口さえうごさせなかった自分の頭の中の声だったかも今となっては確かめようがありませんが、電流が走ったような、そしてあまりお勧めできないショック療法のような効果があり、かなりすっきりもしたと同時に、しばらくの間自分の顔から鹿が飛び出しそうな感覚にすっかり参ってしまい、昔の人ならばこの状態を鹿に「憑かれた」とでも表現するものかと不思議と感心したのを今でも覚えています。まだ鹿の頭でも手でなでていたら少しは様になっただろうと今でも可笑しいのですけれど、あの若い鹿にしてみても普段生活する標高2000メール弱付近から7,8百メートル程も下り、ちょっと冒険とおもった矢先、未知の物体を調査しようとした好奇心の、あるいはある種の友愛行動の結果の事態かもしれず、キスしたのに美しい鹿に戻らないことを残念に思ったり、人間に近づくのが殊更怖くなっていなければよいと、こればかりは今でも少し気がかりです。

追伸)今、さいたまは今年はじめての雪が降っています。ストレスとは「生物のある状態から回復しようとする自然発生的なメカニズム」だそうです。