cherry blossom-time

あの桜はいったいどこで見たのでしょうか。日本に住んだことがある人なら誰でも、頭のなかにふと浮かぶ桜の風景の一つや二つはあるに違いないと思います。私もJR埼京線の十条駅板橋駅間で朝ひときわ混んでいる満員電車から垣間見る桜には10代後半から20代半ばまで毎年、頭の芯の方まであたためてもらいました。そしてもう一つの桜の風景は少し輪郭の曖昧な川縁の桜。その桜はおそらく、室蘭市に中学生のある時期に住んでいたとき、どこかでみた桜にきっと近い。室蘭は北海道の南西に位置して、アイヌ語で「モ・ルエラニ」、小さな坂道をおりた所というその地名に由来する通り、背後や側面を囲む丘から海側の港に向かって緩やかに傾斜する土地です。鉄鋼で栄えたその北の街は、明治維新以降に発展し、1970年ごろの18万人強を頂点として現在は10万人をすこし割り込むという近代の人口の流入と転出を象徴するような、地方にしてはすこし「都会的」で整然とした区画にいつの間か人が住まなくなった場所も点在する静かな地方の一都市でした。今は鉄鋼に従事する人もだいぶ減り(注1)、南端の良港(注2)と市の北部の奥まった場所に静かに鎮座する工業大学があえて特徴といえばそうであるのかもしれません。けれど外部からやってきた人間の足跡も風土や気質という形で蓄積されるものか、良い意味でもそうでない意味でも自然と目立ってしまう転入生の私にとってもどこか過ごしやすく、風通りのよいカラリとした印象のある街でした。少し歩けば丘のような場所にでるために、平地よりも視界はわりと広々としていて、今でも将来住むならば丘と港のある風景のなかにと思う私の傾向にもすこしは影響を与えているようです。暇があれば始終、工業大学に程近い中学校を起点として自転車で散策していたことを考えると、桜はおそらくその室蘭市登別市を隔てる鷲別川沿いのどこかに今もあり、毎年かわらず咲き続けているのでしょう。
桜の花言葉が(どう定まったかはわからないけれど)精神美であり、象徴するものが春の訪れであってもべつのなにかであったとしても、桜も人間のためだけに咲くわけではきっとないでしょうから、桜を美しいと思うひとの方にも救われる気がしてなりません。この時期の生き物はきっと幾分優しい。今日は新しい月に入ったというのになぜか珍しくだいぶ以前のことを思い出した一日でした。明日5日、東京は曇りのち晴れとのこと。今年一番の桜をどこかに見に行こうと思います。




注1 経産省 平成18年度工業統計表「市町村データ」、室蘭市の製造業従業員数7,438人、出荷額等9,246億円。うち鉄鋼業同3,390人(45.6%)、鉄鋼業同3,899億円(42.1%)。
なお、人口ほぼピーク時の昭和45(1970)年、製造業従業員数18,377人、出荷額2,042億円、うち鉄鋼業同7,984人、鉄鋼業同1,203億円。
注2 国交省「港湾統計」平成18年度調査港湾取扱貨物量35,745千トンで全国25位、構成比約1.1%。首位名古屋のおよそ六分の一。