the barrier

4月5日(日)の北朝鮮のテポドン2号の発射からあっという間に1週間が過ぎました。日本の上空を通ること、そして誤って日本に落下する可能性があることについて心配し、注目していました。結果、「無事」に通過した模様。私も一時は安堵のため息をついた一人です。けれど、北朝鮮の(テポドン以前に)ノドンミサイルも日本列島を射程にとらえていることに変わりないようです。日本列島は南北に長く、大都市圏もあるけれど、20万前後の都市ならば分散しています。万が一の際の防衛を考えると、「専守防衛」の原則はとても大切ですが同時に地理的には難しい。運用でカバーするためにも空の重要性について今後議論が進んでいくことと思います。
 また、北朝鮮のミサイルの性能が飛距離においても精度においても向上するのを決して喜ぶものでは決してありませんが、今回の「衛星」打ち上げによって、アメリカや中国やロシアや韓国にどういう心境の変化があったか(あるいはなかったかどうか)もう少し知りたいと思っています。それは、戦争の原因や敗因の一つは俯瞰も質的な側面の検討もせず、事態が局地的で一時的なもので終わるとのごくありふれた願望が安易ではあるけれど抗いがたい固定観念のようなものにいつのまにかすり替わってしまうことだから、かもしれません。とくにアメリカは東アジアとは地理的に遠く、どこかで行われている事態ととらえてしまう危険は常に存在するのだと思います。いずれにしろアメリカも含めて北朝鮮の周辺に存在する国々は、北朝鮮がどこかの国を攻撃することはもちろんのこと、現在の体制が急激に弱まったり、無政府状態になることをより脅威と感じているだろうことは現実的で妥当だと思います。(拉致問題解決のためにも)思想や情報統制や実際の交流が少ないことによって存在する壁は消滅することが望ましいけれど、(仮に頭脳の部分が交替しても)その後協力可能な統治組織という骨格を残しながら、壁もゆっくり溶けてほしいと考えるならば、国連の安保理や六カ国協議も現在の北朝鮮の体制を実際に急激に弱める策はとらないのでしょう。北朝鮮に関連するニュースを見てすこし暗澹たる気分になるのは、指導層が国際的にはむしろ後発国でありながら壁の中(国内)では大国として振る舞う(あるいは振る舞わざるを得ない)ところですが、本気で戦争をどこかに仕掛けても勝ちきれないと理解するくらいには冷静であると見られる以上、今回のテポドン2号の打ち上げは壁の中むけの国威発揚の策を対外的には武器あるいは商品として見せるという危ういバランスをとり方をしっかり観戦させられた気がしてなりません。壁の外と内の温度や圧力の大きな差が緊張を生み、突発的な事態の介在によって急な体制崩壊の発生やその後の難民問題などの事態に行き着きかねないことを考えると、経済的な制裁が果たして周辺国にとって有効な策であるのか考える余地はありそうです。