The dove 3. In the house.

チリエージョは何かがゆっくりリズミカルに脚をつつくので目を覚ました。陽は既にだいぶ高く昇り、お昼近くになろうとしていた。ソファーからベッドの端の方にいつの間にか移動していた鳩は少し不満そうに「朝食の時間は過ぎてしまったようだね。お腹がすいた。君、昨日はお風呂に入るのを忘れたね。」と指摘した。彼はやれやれと思いながらも、「それなら一緒に入ろうか」と鳩を誘ったのでしたが、鳩は「鳥は人間のような埃はつかないんだ。だってほらこんなにきれいだろ。」と翼を広げた後、彼の背中のあった場所にうずくまって動こうとしなかった。彼は細かな詮索はこの際しないことにして、いつもよりゆっくり風呂に入った後、部屋の鏡の前で髪を整えた。ふと気づくと鏡に映るはずの鳩の姿がなく、彼は少し慌てて振り返った。鳩は相変わらずベッドの上に鎮座していた。彼は鳩がいることに安心した自分にちょっと可笑しくなったが、「君は鏡に映らないんだね。」と聞くと、鳩は首だけ彼の方に向けて「鏡っていったって自分で見ていることには変わりないじゃないか。鳥は自分の姿くらい自ずから把握するものさ。人間と違ってね。」と目を細めて嘴をつきだした。彼はため息をついたが、驚くことはまだ他にありそうな気がして、白いシャツとジーンズをはくと、鳩と二人で街に出掛けることにした。鳩はかなり長距離を移動してきたのだから、この際、抱えて散歩してほしいと主張し、彼は仕方ないと思いながらも、それはそれでなんだか妙にかわいくなって小脇に抱えて歩くことにした。抱えてみると鳩はほんわかしていて、彼は「君は生まれた時からこんなに温かいのかい。」と尋ねると、鳩は「そういうわけじゃないよ。僕自身にはじめから温度があるわけではないからね。」と即座に答えた。玄関に向かう途中、母親がそばを通ると、彼女は彼を訝しげに眺め、「どこか悪いの?」と聞いた。彼はとっさに鳩を廊下に置き、「いや、少し脇腹がいたいので押さていたんだよ。きっと戦闘の時に捻った箇所が家に帰ってほっとしたので痛みだしたんだね。けれど外傷も内出血もないから大丈夫。」と答えた。母親は彼の脇腹と頭をじっと眺めて「病院にいったらどう」と強く勧め、やや困惑しながらも彼は軽く受け流して外にでた。家を出ると、鳩はとくに驚いた様子はなかったが、やはりすこしは不満だったのか、「お母さんの横に別の鳥たちが見えたよ。本人は気づいてるのかな。」などとぶつぶつ呟きながら、翼を使わず脚でジャンプして彼の小脇に戻った。彼は軽い目眩を覚え、「それはきっとあの影みたいなのだね。僕は気づいているよ。それにそういえば昨日父親の側にもっと色の濃い影があった気がする。」と鳩を抱えなおしながら答えた。「気づいたのにどうして言ってあげないの。」と鳩が尋ねるので彼は、「人間には口にしにくいこともあるんだよ。かえって怒らせたくないしね。実証しにくい場合はなおさらね。」と口調に苦い思い出をうつしながら答えた。鳩はホホと喉をならし、「若いうちから、達観すると苦労するらしいよ。」とこれは案外やさしく言った。彼はまたすこし苦笑したが、何も言わず視線を道伝いに広場の方に向けた。ぼんやりと眺めるこの街の風景は、表面的には驚くほど安定していて、紺碧の空も、その下の赤茶けた街並も、ある丘から街に吹き込んでまた別の方向の丘へと走り去るからりとした風さえも、これまでもそして未来永劫なんの変化もないように感じられた。