The dove 7.The surface and depth stratum 〜entanglement〜

 塔から街に降りた後、彼と鳩は街を歩きつづけた。彼は雑貨店に立ち寄り、店員の勧める中身の真っ赤なオレンジ五つを薄茶色のガサガサと音をたてる紙袋につめてもらうと、次に足を運んだ本屋では紅茶色の表紙をした真新しい辞書を一冊見つけて買い、オレンジの入った紙袋に一緒に無造作に詰めこんだ。しばらくするとそれまでの晴天に急激に雲がかかり、まもなく大粒の雨が地表に落下し、微風をともなって玲とした音をたてはじめた。その日も彼は傘を持っていなかったので、街角の小さな喫茶店に入り、店番の老女の側で辞書を適当にぱらぱらめくりながら、雨に濡れ続ける街を眺めて過ごした。水の下の赤茶色の街は建物や地面にあたってはねかえる雨で幾分かすんで見え、一方では水気を吸ってわずかに土色に陰りはじめていた。窓のすぐ側に見える路上の水滴はわずかに溢れ、円い石畳の上をつるりと撫でて側溝に滑っていった。
 雨が降りやんだ頃には、とっくに日も陰り、街灯が夜の訪れを告げていた。彼と鳩は店番の老女に一礼すると店をでて家に帰ることにした。しかし、雨に濡れて滑る路を革靴で一歩一歩進むうちそのまま家に帰るのが億劫になり、たまたま目にとまった城壁沿いの路からひとつ裏にはいったところにある一軒のカフェ兼バールのような店に滑り込んだ。この街には珍しく、北の国の造りに影響を受けたような重厚感のある木目調の店内には、たくさんの人々ががやがやと談笑していたが、その比較的太くて先端に重みのある旋律からすると若い男性の割合が幾分多いらしかった。彼が一人でも腰掛けられる場所を探して店の中を見回すと、店の中程から少し奥まったテーブルにいる、大きな体格や精悍な風貌にどことなく北方の匂いを漂わせる5人の男性客が目に付いた。彼は服装のまちまちなその男たちを見ながら、カウンターの隅にさりげなく腰掛けた。この店は入り口の狭さに反して、店の中には意外なほど奥行きがあり、橙色の光が壁や木製の調度品に柔らかく反射して人々の陰影をひときわ強めていた。酒と軽食以外ださないためか、店員の数はだいぶ少なく、いずれも忙しそうに立ち回っており、彼が呼びかけても振り向きそうになかった。しばらくしてやっと彼の前にやってきた店員は、注文を聞くとメモ帳に急いで書き込んで、背後の店の奥まった所にある厨房で何か怒鳴るとそのままそそくさと別のお客のところにいってしまった。鳩は脚でジャンプして彼の肩にのぼり、あの旅姿の男性客たちをみているようだった。彼が鳩に「あの男たちが気になるのかい。」と尋ねると、「そうだよ。ここは目立たないからよく見ておくといいよ。」と答えた。店員がやっと運んできた黒いビールと桜色をした生ハムを受け取り、ビールを一口飲んで、彼が注意を再びその男たちに向けると、1匹の鳩らしきものと、4つの影のようなものが透けて見えた。「影もみえるね。」と彼は鳩に囁いた。すると鳩は「そうだね。ともかくここは安全だよ。影について、どんなものが見えるかい。」と聞いた。彼はしばらく男たちと鳩と影らしきものを眺めていると、男たちの会話が弾むにつれて、鳩はより鳩らしくなり、影の方は仄かに輪郭を整え、しだいに鷹のような姿をとった。「鷹が見えてきたよ。」と鳩にいうと、鳩は「鷹に見えるんだね。君がそういうならあれは確かに鷹だと思うよ。鷹も見えるようになったんだね。」と答えた。鷹は、鳩よりだいぶ大きく筋肉も隆起し、嘴も尖り、爪は鋭く曲がっている。この四羽の鷹は翼を広げ、男の肩に低く鈍い声をあげて威嚇したり、空中に飛び上がっては互いの尻尾と尻尾をかみ合うなどして暴れている。そればかりかある鷹は時より思いつきで相手に噛みつき餌としてどこかに運ぼうとするような仕草さえ見せる。残りの一羽の鳩といえば、鷹に突かれたり、追い回されたりして店の中を必死に逃げ回っていた。男たちといえば、商談後であろうか、それほど酒に酔っているようには見えなかったが、上滑りに紛糾し、肩は緊張して強張って、全身に獲物の隙をうかがう鷹のような鋭い雰囲気を纏っていた。この酒場でも彼らのいる一角だけがぴりぴりと空気が軋んでいて、彼は目と耳の奥の辺りに鈍い重みを感じた。それでも彼の鳩が「この場で慣れといた方がいいよ。」というので、一杯目のビールを飲み干した後、偶然後ろを通った店員に二杯目のビールを注文し、なおも男たちとこの鳥たちの様子を観察し続けた。彼は、男たちの鷹と鳩の胸に彼の鳩とよく似た首飾りがついているのを確認すると背筋が冷えていくのを感じた。彼は敢て息を吐いて、彼の鳩を眺めると鳩は彼の方を振り返って頷いて「他にはどんなことが見えるかい。」と尋ねた後、男達と鳥達に再びその碧色に煌めく眼差しをじっと向けた。彼の目には鳩の嘴が心なしか普段より大きく鋭く映った。