The distorted and intricate arrows ChapterⅠ 2.The aspect of R1

R社人事担当取締役の平原は、迷っていた。人事畑で長年経験を積んできただけに、年相応の陰影が刻み込まれたその顔には、もはや内面の揺れやその智慧さえ表情にそのまま映されることのないことを自分で知っている。人間にとって皺や皮膚の厚みも年輪であり、また盾であるのだ。けれど、イスに深く腰掛け、机に隠されている足先は小刻みに揺れ、視線も少し遠く、12階の右手の窓の外に浮かぶ海の上を所在なげに彷徨っている。彼は取締役になった今でも長年の習慣でファイルなども秘書には任せず、自分でさっさと整理してしまう。毎朝、秘書が自分の机を拭いてくれるのをそばで見ることが自分の顔を拭かれるようで少しくすぐったいのだった。そんなとき彼は、孫に世話される気分はひょっとしたらこんなものかなと思うのだ。その机の上は今日も整然として鈍い光沢を放っている。Qグループの一部から、人事業務の一部をR社の子会社S社に移してみないかという打診がきたのはもうだいぶ前のことになる。その度になにがしか理由をつけて先延ばししてきたが、どうやら今回は正式に検討しなければならないらしい。社長から処置は一任するとの内諾も得ている。グループ戦略から考えても人事や経理業務をグループ内のどこかの企業に集約化する方策はコスト面でも妥当と思われるし、ここ数年の世の趨勢にも合致している。それに子会社であるS社もコールセンターのアウトソーシングの受託だけでは、グループ内に規模も実績もある企業が他に存在して重複している。なにより5社ほどの会社が合併してできたR社自体もスタッフ人員はだぶついていると自認してきた。彼はやはり真剣に検討せざるを得まい、とため息をついた。しかし彼の脳裏には若手の事務職や比較的まじめに働いている派遣社員の顔がよぎる。その事務職たちを社内の年齢構成に合わせて、少しづつ正社員化するのを認可してきたのもまた彼なのだった。本格的に施策を実施するならば、他の外部の専門家を入れた方が精度が高いが、まずは自分の目の届く範囲内で打診の通りS社を使って上手に検討してみようと思った。彼はこれは自社のスタッフやS社の対応や実力を測る試金石でもあると自分を納得させて、電話を押しマネージャの中越氏を呼び出した。中越は年齢は四十くらいで、中肉中背で浅黒く健康的な雰囲気をしている。平原は「あの人事業務の委託の件だけれどね、正式に検討することになったよ。君にもいろいろとがんばってもらわなくてはならないね。」というと、中越は「そうですか。」と僅かに顔を歪めた。平原は「まだ若いな、反応が正直だ。」とは思いながらも、一方で少し安心した。「君命とあれば身命を賭して喜んで立派に斬りまするなどと意気込まれてはかえって心配だ。社内で刀を振り回すような蛮勇慎むべし。やはり痛みの分かる人間の方がよい。しかしS社の方はどうかな。あのS社のことだから、結構意気込んで乗り込んでくるにかもしれない。それに妙に焚きつける動きがなければよいが。」と考えながら、「当面はもちろんうち主導だよ。S社の担当とは話がついているから、これからは君にやりとりを頼む。けれどいろんな人が動きかねないから、手綱はしっかり握っておくようにね。」と言った。中越ははじめの揺れは影を潜め、既に冷静な人事の顔に戻って、「分かりました。」と顔を縦に振って答えた。平原は、重ねて「これは限られた人にだけ話しておくから、もちろんみなには当面内密に頼む。」と言った。