The distorted and intricate arrows an afterword

The distorted and intricate arrows 後書きとして
新卒で入社した会社で、年度終わりの月に納会があった折り、還暦を過ぎたT取締役に○○屋のサンドウィッチを買ってこいと言われて、数万円を渡されて百貨店の地下まで使いにいった。祖母と暮らした期間はすこし別として、食に疎い家で育ったものだから、他に食べ物が十分にあるのに(そしてそのT取締役はいつもそれほどたくさん食事をとる人ではなかった)、なお食べたい、あるいは誰かに食べさせたいというのはよほどおいしいのに違いない、と思ったくらいであった。しかし、帰ってきてサンドウィッチを取締役のテーブルに並べたあと食事をしていると、ある年上の人がそばによってきて言った。「おつりあったでしょ。はやく返した方がいいよ。」と。どうやら親切にいってくれたようでもあり、新人用の「報連相」の練習のようでもあり、あるいはその人がその取締役に「あいつ買ってきたかな」と聞かれたからかもしれず、またその取締役は一見強面で通っていたから、ごく妥当な意見であったかもしれない。けれど、大企業の年収数千万の取締役が、わざわざ自費をだして買いにいかせているのに(その他は経費だったから)数千円のおつりにうるさいだろうか、いや部下や周囲の人と歓談しているさなかつりを受け取りたいかは少々疑問で、普段その方が伊達に振る舞うのを目にしそれが仕事の一部のようでもあり、パーティーのこの場よりむしろ後でそっと返した方がよいと鷹をくくって手元の封筒につっこんでポケットにしまっておいたのだった。けれど、あまりにその人が騒々しく薦め、またT取締役もそばにいたのでその場で返した。今もって正解はどちらかだったか、どんな気持ちで受け取ったかは確かてはいない。ああそうと取締役も事務的に受け取ったように思えるけれど。これはほとんど忘れてもよいエピソードの類であるすぎないが、組織は大規模化や効率化といったその運営上の様々な利点の背中に、意思疎通や命令の錯綜や拡大解釈をはらむことはあるのだと思う。上役の命令にただ従っていれば規則上も保身上も一見問題ないようにも見えるけれど、結果的に全体に対して不利益を与えることになるのは防ぎたいと思うことが果たして穿っていることだろうか。また、始めの意図や指示が曖昧であったり、あまりに作為的、操作的であることによって、組織で伝達されるうちに、個々の先入観や恣意的な目的や、指導力不足や論理やスキルの破綻を補うための権威借りのような行為のために歪んだり、屈折してしまい、そればかりか結果として当初予想しなかった現実まで作るというのは歴史上も「よくある話」であるのかもしれないが、かなり興味深い問題であるように思う。いつかテーマを選んでなにか書いてみたい。そしてその情報の伝達や、受容、屈折やその補整や復元についても考えていきたいと思っています。

6月19日