in childhood

五、六歳の頃、祖母と買い物がてら、散歩をするのがとても好きだった。あぷさんと祖母は呼ぶ、屋号に由来したものか不思議な名前の魚屋から始まって、肉屋と八百屋をまわって帰る、今確認すれば一キロに満たない道のりがおきまりのコースだった。祖母はあまり煩いことをいうわけではなく、お店の人の「背が伸びたわね。」という幼稚園に上がる前の、近所に同年齢の子供のそれほど多くない環境に育った子供にとってはさほど関心のない話題にはそれとなくフォローをいれるので、これほど安心だった散歩もなかった。もちろん近所はほぼ知り合いのようなもので、時々道ばたで近所同士お互いにばったり捕まったけれど、そんな時は自分は黙って大人の会話に耳を傾けるだけでよく、子供がいることでお互いある程度、和んだ会話にもなるようだった。けれど、あるときはどう話がころんだものか、「この子、誰の子供でしたっけ。」に始まって、「○○さんはどこの大学でした。」ときた。普段声のよく通る祖母が珍しく言いにくそうに「○○大よ。」というと、相手は勝ち誇ったように「うちと同じね。」と言った。「弟はH大ですけれどね。」と祖母は今度ははっきりと返した。単なる近所の鞘当てにすぎなかったのだろうが、女学校を首席ででたという勝ち気な祖母はやはり悔しいのか、普段はこちらから強く握っているつないだ右手が、ほとんど開いたままであるのに強く祖母の左手でしっかりと包まれていた。家に帰る途中、しばらくしてから、「あの手がすこし痛いんだけど。」というと、思い出したように「あら、ごめんね。」といって、「やはり男の子はW大、K大かsしらね。」といった。それが何を意味するのか、理解したのは小学校に上がってからだったが、祖母がいうのだったらひとつそうしてみるか、と思っただけであった。祖母にはそれほど強く言わないくても、喜ぶのだったらそうしてあげようかと、男の子という結構単純な生き物をその気にさせてしまう可愛げみたいなものがあった、と思う。
 今、コーチングという人の目標達成をコニュニケーションを支援するスキルを学ぶにあたって、ときには理論や方法論からすこし離れて、このコーチと決めたことは努力してあげようかなというあそびというか可愛げめいたパーソナリティーも忘れずに磨いておきたいものだと思う。