an island~an extract from a hidden ship`s log~14.planets and young plant.

辺りが夜になると、どこからか風がわずかに吹いてきて、船員が眠っているそばの木の中央に優しく触れると、複雑に無数に重なり合った葉と枝に触れて鈴の音のような玲玲とした音色を奏でて通り過ぎた後、しばらくするとまたどこからか戻ってくるようだった。先頃の雨で木の葉や枝に積もった丸い雫たちはその度に上の葉っぱからそのすぐ下にある葉っぱに乗り移り、風が葉や枝に触れて織りなす綾音よりわずかに遅れて、水の音を立てていた。夜は徐々に深まり、風はその反対にすこしづつ弱まっていった。雲は、あるいは風のはたらきによるものか、やがて漆黒の夜空と薄く溶けあいながら、月と星の光をおびてまるい空の縁のほうに佳景を形づくった。いつ頃まで微睡んだものか、船員がふと目を開けると、木の側に背の高いひとが立って、じっと空をのぞき込んでいるのが目についた。船員は静かに起き上がり、そのひとの側まで近づいていった。そのひとは色白の容姿にところどころキラリと輝く、絹製のあでやかな黒い服を着て、胸元から深い青の細かなチェック柄のスカーフをゆったりとのぞかせて、まるで夜がひとに映っているかのような気配を身に纏っていた。船員は、驚かせないように気をつけながら、尚も空を見つめるそのひとに話しかけた。「こんばんは。今日は星と三日月がとてもきれいに見えますね。」と船員がいうと、黒い服を纏ったひとは「こんばんは。ここからならたとえ雨でも宙を眺めることができます。それでもこんな美しい快晴は久しぶりかもしれません。」と答えた。船員は「あなたは何をなさっているのですか。」と尋ねた。そのひとは「今は星の瞬きの刹那に生まれるひとつの概念について考えているところでした。」と答えた。船員は「それはどういうものですか。」と聞くと、そのひとは「私の思うところでは、物事を究極的に単純化してとらえると、一つの波紋ともう一つの波紋の触れあうところで概念が生まれるのではないかということです。それが過去でも仮に未来であっても星の瞬きを私の目が捉えた際にもそれが起こりえるのではないか。この微妙な連鎖をインスピレーションというもので説明できるものかについて考えていたのです。インスピレーションは実際の距離にかかわらず心の芯に届くのではないかとも考えています。ひとつの波紋はもうひとつの波紋と一点ではじめに重なり、それ以降徐々に溶け合って無数に積み重なっては世界を形成すると考えるだけでもすこし楽しい気持ちになります。」とそのひとは答えた。船員は頷くと「私はつい最近まで船に乗っていまして、船の位置や進むべき方向をしめすものとしても星々を眺めています。無論それだけではなくて、きれいな星と月の夜空を眺めること自体がとても好きであることの方が大きいのかもしれませんけれど。」と言った。そのひとは「私も星空がとても好きです。この地域の古い言い伝えによると、私達の故郷の一つは今宙にあるどこかの星だといわれているのです。そのためか宙を眺めると自然に懐かしい感情で溢れてくることも感じます。」と言った。船員は「夜は地上の声や音が幾分静まり、かえって空間がひろがるような感覚を覚えます。暗くてもよく見えるものがあるというのもきっと救いですね。」といった。そのひとは笑って「あなたは対話を妨げる要因は何であると考えていますか。」と尋ねた。船員は「言葉を織りなす言語、あるいは信念や興味、関心、経験といった内なる言語の相違でしょうか。また対話の際に自分の言いたいことだけを念じるのも受容の妨げになるようです。」と言った。そのひとは「異なる地域を巡るあなたらしい答えだと思います。」と言ってすこし間を開けた後、「別の側面では想像力の枯渇と生存へ脅威を感じることではないかとも私は思うのです。相手の話を理解するには契機か決めてとなるかは別として、インスピレーションという繋ぎ目が必要ではないでしょうか。ある物事を認識する場合、最初の物理的な距離が極端に近いことが理解の妨げになることがあるのもこのことと関係があるのかも知れません。見えているものだけを信じるのは自然なことですが、無意識であるだけに注意する必要があるのかもしれません。」と言った。船員は「お話を聞いて私もそうでないかと思います。生存への脅威についてはいかがですか。」と尋ねた。そのひとは『この地域の古い伝承のひとつですので恐縮ですが、人の祖先の一つの流れは狼であると言われているのです。目の前にあるものは仲間であるのか、味方であるのか、敵であるのか、それとも獲物であるのかを無意識に判別しようとする働きが私達の心にも宿っていると言われています。原因は別にあっても目の前の存在によって自らの生存を脅かされると脳が感じた時、対話は向き合っているという形だけが残り、あとは倒すか倒されるのかの野性の格闘の一つの形にすぎないと私は見ています。』と言った。船員は黙って頷いた。そのひとはふと笑って「それにしてもあなたの発音には懐かしい響きを感じます。「です」という最後のところなど中程の歯から曖昧に柔らかく息を滑らせる発音はある半島近くに住む人々皆が話す語尾にとても近い。あちらに親しい友人がいるのです。」と遠くを見る眼差しで言った。船員はふとそのひとの足元を見ると小さな苗木が銀色の柄杓の絵柄が描かれた麻の袋に包まれているのが分かった。船員は「これらは何の苗木ですか。」と聞いた。そのひとは「柿、夏蜜柑、林檎に桃と葡萄とオレンジの苗もあります。この木は果物の木としてももちろんみな正当なものですが、同時に私と宙との対話のひとつの顕れでもあります。ここは少し風が強い気候なのですが、そこの窪地は風が緩やかになる上に、まわりから見えないけれど、日照はとてもよい。そこで宙から見えるように願ってそっと植えようと思うのです。もしよかったら植えるのを手伝っていただけますか。」と言った。そのひとと船員は一緒に窪地に苗木を植えた。植え終わると「やがてここも豊かな森となることでしょう。」と言って、そのひとはまた宙を見上げて「ある星からこの場所に光が届くということは、同じくらいの距離にある別の場所にも同じような光が届いている可能性を信じることができるということでもあるのでしょう。どのように思うかは受け取ったひとにあくまで委ねられるとしても、同じものを宙のどこかで見ているひとがいることだけで、たとえそのひとが目で見えなくとも、心躍る理由となることだと思います。」と言った。そのひとと船員はしばらく一緒に宙を眺め続けた。