island~an extract from a hidden ship`s log.20. to shield himself behind the shield-鄱

そのひとは、するりと店に入ってきたが、既に店の中にいる者はみなすぐにその存在に気づいた。そのひとは、深い緑色のコートの襟を立てて、赤い帯のついた灰色の帽子を眼深くかぶり、円形の盾を背負っていた。室内の熱気に満ちてだいぶ重たくなった空気の中に秋の涼やかな風が脚元から吹気抜けて、部屋中がだいぶ明るくなったことに船員が気がついて目をあげると、店の入り口の横では、硝子の箱の内側でゆったりと促すようにふれる振り子つきの風雅な大時計がいつのまにか午前一時をきっかりと示したところだった。入口の右手の壁の中央に架かった古い映画俳優の写真もこころなしか先程の喧騒の中よりも輪郭が船員の眼にはっきりと映えるようだった。一方、店につめかけた男たちは何に驚いたものか、長くて驚嘆をしめすような声を半分ぐらいはなんとか飲み込んで、新しく入ってきたひとの方をしげしげと見つめた。そのひとは帽子とコートの襟の隙間から、明るく澄んだ茶色の瞳をきらりと輝かせて、今度は一礼すると、「私の腕とこの盾をもってしても幾つかの鏃は弾いてしまいました。御覧なさい。」と言って、背負っていた小さな盾を背中から下ろして皆にみせた。その円い盾には、唐草模様をさらに細かくしたような複雑な軌道を描く植物が縫うように刻まれていて、その狭間に美しい古代文字がひそんでいることが判ったが、その表面のところどころに船員の手元にある鏃と同じような鏃が無数に突き刺さっていた。緑色のひとは「これは街の自治会にも報告をしなくてはなりませんね。」と言った。店の主人は「その鏃は私から撃ちだされたものではありませんな。」と言った。そのひとは頷いて、「すべてあなたのお店から撃たれた鏃だとは言っていませんよ。けれど、鏃というものは実物とその軌道を三つも集めればなんらかの傾向を仮定することが可能です。この鏃の羽根のある部分、そのアンチテーゼのような反対側の部分を包含する集合と、その軌道の角度と強さで想像するのです。すると鏃を製造した場所や撃ちだされた地域も大まかに掴むことができます。自ずと鏃が教えてくれるようなものです。」と言った。店の主人は「よく分からないが、いずれにしろ鏃は私のものではない。この店は看板に示してあるとおり、盾を売る店ですからな。」と叫ぶように言った。そのひとは初めて軽くため息をつくと、「どこから撃ちだされたにしろ、少々当惑しているのです。この街はあの大きな戦の後、急速に回復と発展を遂げ、人口の急激な増加とともに、景観もずいぶんと複雑なものに変化しました。私達はこの膨張とも呼べる成長を補い、支えるように、将来に向けて成長することを前提とする簡単で扱いやすい小さく頑丈な箱のような構造物を無数に造ることになりました。例えば家々の壁は都市の拡大に反比例するように厚くなったことでしょう。けれど、街の成長も一休みした現在、拡大を織り込んだこの無数に積み重ねられた小さな箱は相互の重みで内側に向かって閉じるようになってしまいました。街の外観の骨組みが強固になった現在、必要なのは壁を厚くして扉を閉ざし、相互の違いや対立軸を探っては箱の中にさらに小さな箱を新たに造ることではなくて、むしろ窓を開放し、相互の共通項と協調すべき課題を探すことではないでしょうか。この多重構造の集合体そのものも次の構造を模索しているのです。都市の再生のプロセスとして、街中の構造物の隙間に浸って、緩やかに箱を移動したり、無用になった壁を溶かし、何かを育てる、曖昧な水のような土壌が必要な時季なのです。そっと開け放とうとする生まれたての柔らかな窓から、まずはじめにとげとげしい鏃が飛び込んでくるような事態は避けたいものです。」と言った。店の主人は、顔を前後に微妙に小刻みに動かしながら話を聞いていたが、そのひとが話し終わるやいなや、「何のことが見当がつきませんな。」と言った。つめかけていた男たちはいつのまにか椅子に腰をかけていた。そのひとは静かに微笑んで「鏃もまた存在することが街に周知され、対策が立てられれば、あるいはこの鏃も何かの成長の糧とすることも可能になるかもしれません。」と言うと、右手をコートの袖から少しだして、盾に刺さっていた鏃を手にとり、コートの内側のポケットから取り出した小瓶にいれた。森の緑を彷彿とさせるコートの袖の裏側からのぞくその右手には銀色の輪が幾重にも巻かれていて、そのひとのしぐさに合わせてカラリカラリと音をたてた。そのひとがほんの数十秒その瓶を振っていると、鏃はさらさらと輝く砂に変わった。そのひとは店先の植木鉢にその砂をそっと注ぐと、「きれいな花が咲き、よい果実が実りますように。」と言って、入ってきた時と同じように店から滑るようにして外にでていった。