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A diary0711

「こら、危ないじゃないか。」と男性の声で目を覚ました。休日の電車の車内である。どうやら駅に停車したばかりらしい。時間は18時頃。朝から夕方にかけて仕事をした後で、私は電車の車内で眠っていたのだ。たまたま、ではない。電車のマナーは一考すべきとは思うけれど、通常電車に乗る際は、座れるならば、睡眠時間に組み入れている。目の前の通りがけの男性は、座って眠っている私に、罵声をあてたのだった。は、と思った。背中は座席の背もたれにぴったりついていたし、足を組んでいたのでもない。わたしの方にも普通に座っていてよい理屈は成り立つ。ま、と思って、私は目礼を返した。しかし、今まで眠っていたために、目礼と同時に相手を確認することとなった。そのため、相手の目もまとめて覗くことになり、視線がすこし深くささってしまったと感じた。相手は無言の舌打ちをすると、何事かモゴモゴいって、左足で私の革靴の右足を小突いてきた。この場合、目礼における文化的コンテクストに違い、などといってみても始まらない。誤解ということもある。こういうことはよくあることで、仮に理不尽な行動であっても、目礼が効果を示さなかった以上、小突いてきた男性の行動はむしろ一貫しているとも言える。身体や「尊厳」のようなものが傷つけられるなら反撃もやむなし、とは思っているが、このときは立ち上がって抗議する気にならなかった。膝の上に置いた樹脂製のアタッシュケースが重かったからでも、こわさのためでもきっとない。相手の声にも、そして左足にも力がなかったからだと思う。男性は、発車ベルが鳴る前に、ホームへと降りていった。車窓越しに歩く男性の後ろ姿をみて、怒りのような、戸惑いのような気持ちは不思議と消えていった。声高に抗議しなくてよかったかもしれない。男性は、皺の深く刻まれた顔と、不釣り合いなくらいの黒々とした(わたしも年齢が上がって髪が白くなったら、染めたいとはおもいますが。)黒髪をして、左足をわずかに引きずっていた。なにか他にいいたいことでもあったのかもしれない、あるいは通りがけではなく、眠っている私になにか気にさわることがあったかもしれない。私はそんなことを考えながら、男性のすこし哀しげな後ろ姿を見送った。

この前読んだ個人のビジョンを考える本に、自分が死んだときの墓碑銘を考えてみよう、というのがあった。自分が何をして生きて死んだのかを時間軸をずらして考えるという趣旨だったように記憶している。周知のように、欧米と違って日本の墓には通例、戒名や家名の他には言葉はない。それでも、墓前のひとの祈りの中身には大きくわけて二種類あるような気がする。「こんどまた話しましょう。」というのと、「もう当分でてこないでください。」というのと。少なくとも、いつか自分があの世にいったら、「今度ちょっとお茶でも飲みましょう。」と言われるくらいではありたいと思う。