A fruit tree at the base of the mountain.12.

 葉っぱのジョルジョは、高原から古の里の辺りを通って、いまのすみかに戻ってきました。途中で今年の梨のかたちをしっかり確かめて、秋を実感しはじめたのでした。葉っぱは静かに眺めた光景は、心の森のどこかにずっと在ることを知りました。葉っぱは、葉っぱであることが理解され、ちからを誰かのためにつかえる世界で生きようと心にきめました。肩から麻袋をかけて、やわらかく光をはなつ小さな球体の「宙空の鏡」とそれをのっける作りかけの青い小舟だけを曳いて歩ければよいのです。 黙ってその場所で土に戻ることだけが木々の宿命ではないと葉っぱは思うのです。それに細切れに断片化して、挽肉にまぜて団子にしてしまえなんていう乱暴な輩だっているかもしれません。葉っぱたちのなかにはそうやって命をおとしていく者もいるそうです。葉でも菜でも相応の役割がきっとあるはずです。森の生き物たちは 土地柄が根付くのにそぐわなければ、ゆっくり移動すするのが自然です。 古代樹たちも、そしてその末裔である木々もそうしてどこからかやってきたのだ、と葉っぱは聞きました。だからこそこの世界は多様な彩りでみちているのだと葉っぱは思うのです。そして緑色のいきものたちは、宙空から届く光と声で育つのが道理だと森の博士もいっています。葉っぱもガリガリと耳鳴りのする場所であっても、宙空からの光と音色でおちつくことができます。森は大陸の端っこで途絶えているようにみえても、風のはたらきでたえまなく続いているもののようです。見えないものだって大切ですが、それにしても、何か目に見えるかたちも必要だと葉っぱは目線を少しあげて思いました。藍色の宙空は今日も澄み渡っていくようです。山々をめぐりめぐって、風が秋の気配を運んできました。