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A reading by the window130122

Eは窓辺の側の机に向かって文章を書いていた。日々の活動、その準備、休息(これがこの環境だと少しばかりてこずる)の他には、限られた時間しか残っていないことを知っていた。「生徒さんに教える仕事はよいのだけれど、将来的に住環境は変えなければいけない。」と感じていた。昨日のニュースであっただろうか、日本の大阪の高等学校で体育科の生徒が体罰を原因に自殺したことに関して、体育科の募集を停止し、指導顧問の総入れ替えをすべきとの市長の発言に対する生徒側の意見として、「同じ悲しみを経験した先生だからこそ、わたしたちのことを守り、育んでくれる。」という趣旨の発言をする映像があった。(お名前と顔がふせられていたことを前提に)紋切り型の逆説、とまで受けとるほど冷たい人間ではいたくないとは思うものの、本質的にはまちがっているとTは思った。自分たちの経験したことしか理解できなくなった世界はいったいどんな世界だろう。これまでの世界のように広がっていくだろうか。亡くなった生徒は重たく暗い日々の現実のいつまでも続くような感じと自分に対する無力感から死を選んだのではなかっただろうか。心身ともに成長の途上であるときに、勝つことがもとめられ、勝つことを自分にも他人にももとめてしまう。そういう想像力や常識(許容の幅など)が働かない場であったからこそ、この事件は起きたのではなかったか。起きた問題に対して、個別に切り分けて、ちいさく対処することは一つの手法にすぎない、とTは思った。分母を増やして、解決する方がよい場合もある。無論、高校生の発言は現在のストレス(とそれから起こる、「なにか」から自分たちを守りたいという本能)、先々への不安に対する正直な反応と受けとるのが妥当であるのだろう(その意味では当面、ケアと進路の方策がもとめられる)。変化の激しい世の中であっても、生きていて将来があるからこそときには(すこしでも)立ち止まって、悲しみをわかちあい、ものごとの本質やありかたを考える勇気がほしいと思う。