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A diary20141028

 皆様いかがおすごしでしょうか。

こちらはおかげさまで、いそがしくしております。

昨夜、木枯らしが吹きました。

昨年も、今年もその時間に偶然外を歩いていたのですが、

どこかに穴があいたのかというほどの風でした。

 

感染症の「エボラ出血熱」、懸念されます。

ウイルスとは、ある意味では、地球環境(自然)が、拡張し続ける人間社会に「最適化化」(補正)を迫っているように受け取れます。しかし、グローバル化の進んだ現在、人の移動を完全に制限することは非現実的です。また、イノベーションの観点からは、優れた解決策やアイデアを生むにはごく限られた領域内の交流ではなく、異なる世界や文化との出会いが効果的と言われます。過度な移動制限などは、人の移動と情報の流れ、商流が必ずしも同一でない現代にあっても、短期はともかく長期で行われれば、社会の停滞を招くかもしれません。

エボラ出血熱」そのもの及びその影響も短期的には懸命に、長期的にはゆるやかに人間社会に取り込まれていくのでしょう。(そうでないと破綻をきたすことになりますが。)

とくに懸念されるのは、感染症あるいはその影響が急激に拡大することです。それを防ぐためには、「不安」を受けとめて、適切に予防、治癒へと対応することが必要。感染症やその対応について、専門家の方々には既にその知見もあることと思います。そして、この種の事では「風評被害」という言葉が持ち出されます。確かに、内容や程度によって緊急対応、補償が必要な場合もあるかとは思います。しかし、見えざる「毒」の侵入によって、それまでの暗黙の前提条件や信頼が崩れた場合、供給側に寄った論理で「被害」としてみても、それだけでは消費者の実際の不利益、あるいは不安を解消できないと思われます。つまり、現在の「風評被害」なるものは、選好の変化した一状態であり、人間社会が情報をもとにその事象に適切に対応するゆるやかな調整のプロセスの中の、比較的急激な一部分であると考えられます。ある事象にまつわる情報は、社会のレベルでも個人のレベルでも「疑似体験」によって、予防効果、衝撃を和らげる効果、そしてなにより破滅的で決定的なシナリオを避ける効果があると思われます。情報が感染症などの事象に先行することはむしろ望ましいといえます。「風評被害」のような状態は情報そのものによってではなく、情報が十分でないときにより発生すると考えられるのです。同様の事態における情報の取り扱い、及び情報から生じる「不安」を問題の本質の理解、解決にどう結びつけるかについては別途考える方針です。

 

以上です。

なお、文章(物語形式)は編集中です。