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【オリンピックエンブレム等】

残暑お見舞い申し上げます。
立秋とはいえ、まだまだ暑い日もあるようです。

皆様いかがおすごしでしょうか。

 

佐野研二郞氏の2020年東京オリンピックのエンブレムが、ベルギーのデザイナー、オリビエ・ドビ氏のデザインしたベルギーリエージュ劇場のロゴマークと類似していることが問題として指摘されています。
(普遍性のある)アルファベットの書体を参考したデザインであること、(欧米では日本より著作権への意識が強いとはいえ)ベルギー側のログマークが商標登録されていないことから、法律面では問題ないと認識されるのでしょう。けれど、エンブレムのデザインから伝わるものは何でしょうか。デザインに感じる物語はどのようなものでしょうか。歴代の各オリンピックエンブレムと比較して、シンプルではあるけれども、抽象度の少ない、硬質かつ平面的でポピュラーなデザインが採用されてしまったことは事実でありましょう。表面的な「わかりやすさ」の追求の顕れ、とも考えられます。世界のアスリート、観客にとって瞬間的で、一回性の追求の場であるオリンピックの紋章に、効率的に再生産されるかのようなtの文字を一文字あしらうことは、どのようなフィロソフィーの働きによるのでしょうか。この場合、つくり手がtと書けばそれは東京だ、チームだ、何だと受け取れというのでは乱暴なのです。”TOKYO 2020"と書いてあるのに、わざわざ改めて東京だと表示するのはいかなるメッセージでしょうか。また、漆絵の一種を連想させるような配色ではありますが、漆絵の配色は背景が暗色であってこそ生きるもの。背景が白では、真ん中の長方形の黒いノーズ部分によって奥行きと視認性が遮られ、潜在的にも息苦しさを与えてしまう。そして、黒い長方形と円の距離が少なすぎるため、視線が分散せず、集中してしまい、奥行きと立体感がなくなる。世界に”We”と伝えたいのに、”T”はおろか、”I”と伝えているようなものです。そのため典雅であるよりむしろ、暗く硬く、窮屈な印象になるのでしょう。外国の人々にももっと日本的な美しさをみてもらいたいのに、その象徴でもあるのに、という溜息や静かな憤りをよく理解できます。また、佐野氏の他のロゴのいくつかにとくに見られるような遊び心が、このエンブレムからは感じられないことは気懸かりです。そして、そもそも流れ、方向性、動きをみるひとに感じさせないデザインは、競技大会にふさわしいのでしょうか。必要な説明はされるべきとは思います。けれど、日本のみならず、世界の異なる文化、異なる宗教、異なる言語の人々にも(言語を超えて)直感的に伝わることがエンブレムのデザインの存在意義であると思います。そのデザインに効能書きや経緯が求められることは苦しい。無理ならば致し方ありませんが、諸般の事情も考慮して、アスリートの躍動感があらわれるような、平和への連帯を示すような、日本の「おもてなし」の気持が伝わるような作品へと再考されてよいかと思います。

 

夏の疲れがでやすい時期でもあります。皆様どうぞご健康にもお気をつけくださいませ。

 

*9月4日追記

エンブレムから受ける可能性のある「潜在的な」印象についての考察。

(国というよりも文化的、言語的な影響のある部分ですが)

細い縦長及び上に日の丸を配置することで、目線が上向きになり、より権威的印象に。

左上及び右下の図形から、鋭角の刃(たとえば鎌)が心臓に向かう、向かってくるイメージ。その他、剣、宗教的構造物、ある種の念。

 

 

オリンピック東京大会に心からの応援のきもちを表明します。