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A diary20160526

 G7(主要国首脳会議)、「伊勢志摩サミット」が開幕しました。

世界経済や環境、難民問題などについて話しあわれるそうです。

 

 G7後、アメリカのオバマ大統領が広島に訪問します。

核兵器の犠牲のでない、平和な世界の実現について願うばかりです。

 歴史的に多くの武器は、破壊的であればあるほど拡散してきました。青銅器、鉄器、銃、時代は下り、戦車に、航空機、潜水艦、毒ガス、そして核兵器核兵器は(対抗する国が開発しているという事情が作用したことは理解せざるを得ませんが)おそらくは開発段階でこそ踏みとどまるべきものでした。実質的に無効化する防御や状況、安価あるいは強力に代替するものが技術革新によってもたらされない限り、現実的に「全廃」は難しい。プルトニウムや核廃棄物なども(なんらかの技術革新がない限り)無害化するまでに気の遠くなる時間を安全に厳重に保管しつづけなければなりません。この意味では、核兵器の引き起こす悲惨な状況、核のない世界の実現の理想が浸透してやっと、安全に不断に管理、使用せず、削減し続けられるかどうか、というほど困難なものであると思います。大統領の広島訪問は(削減の数値目標が出されればなおのこと望ましいでしょうが)諸外国やアメリカと核に対する危機意識を共有する効果こそ意義だと思われます。

 また、核爆弾の投下について、沖縄で起きた(とても痛ましい)事件について、大統領の「謝罪」の是非が俎上にのぼりがちです。ここで留意したいのが「謝罪」の意味あいについて。島国であり人口密度の高く、一方で自然が豊かで相対的に「取り合う」度合いが低いここ日本ではあやまちをわびることのみならず、「お騒がせして申し訳ありません。」という言葉が成り立つほど、「謝罪」は通例、人間関係を円滑にするものであり、関係性の継続という意味も持ちます。それに対して中東など自然環境が厳しく、収奪の文化の影響をより多く受ける、世界の多くの文化では、謝罪は死あるいは退出を意味し、関係性のある種の固定化や断絶になりかねない(だからそうそう謝らない)と聞きます。アメリカは無論、文明国。しかし、多様性がある国民、議会、軍のことを考慮すれば、複雑。お招きしておいて、謝罪を求めるのも、日本の文化に照らしてもいかがなものでしょうか。

  平和の継続も、諸問題の解決も、交渉によるしかなく、求めすぎず、謝罪そのものよりも、(相手方の立場にも配慮して)より交渉しやすい関係性の構築や継続が望まれます。