桜咲く。

用事の帰り、新宿御苑で桜を観てきました。公園案内によると約1,300本もある桜は、随所に点在していて、多種類で咲く時期も異なることが影響しているのか一見すると本数ほど圧倒的という印象こそ感じないものの、都会の整備された公園という立地条件でもそれぞれ個性的で美しく、楽しく散策してきました。桜に近寄ってみるとどの木も意外に頑丈で生命力があり、あっという間に散ることに日本の哀切な美を感じるだけでなく、じっくりと熟成されたものをわずかな期間でそれでも定期的に披露し続けている点だって花自体の儚さとは別の安定した美しさがあると感じました。

 WBC日本対韓国戦、私もテレビで観戦していました。とても刺激的な試合でした。野球の試合をほぼ通してみるのはじつはかなり久しぶりで、あらためて今回真剣に観て、野球がいかに「待つこと」と「溜め」の競技であるのかを実感させられました。打者は相手投手がボールを投げるのを待ち、そのボールが自分の打つポイントまで到達するのを場合によっては繰り返し待つ。野手も同様。観客だってそれを見つめ続ける。野球で私たち観客が盛り上がるのは、そのプレーの一つ一つのプロセスや結果はもちろんのこと、普段物理的に多様である観客それぞれの呼吸が、ピンチやチャンスやファインプレーの度に皆で一緒に息をのんだり、一喜一憂することで不意に一致する一体感にもよるのではないかと思うほどです。投手の放つボールを打ち返す打者の動き一つとっても、それぞれ個性はありながら、停止状態で力を溜める状態からバットでボールを打ち出す研ぎ澄まされた一連の無駄のない動きは素人目に見てもやはり美しい。野球の魅力の一つは、これは他のスポーツにも共通することなのかもしれないけれど、試合において決定的なプレーの瞬間においてはビジョンやそれを達成しようとする戦略はあっても、小手先の作為のようなちぐはぐでぐらぐらした醜いものが介在できないという爽快な部分にもあるのではないかと思います。また、ベースボール(野球)はチームや選手を多角的な数字で把握することが可能という点ではなにやらとてもアメリカ的であり、投手と打者がある意味では1対1で勝負するという点では西部劇のピストルでの決闘や日本の武士の居合の打ち合いを思い起こさせるような緊張感と潔さを感じさせるのかもしれません。今回のアメリカチームの苦戦は、グローバル経済下でのアメリカの意外な苦境とつい重ね合わせて見えてしまいがちな側面があるにしても、日本や他の国の観客が(安心して)熱心に観戦できたような広い意味での舞台設定や大会の組織化を行う点では旗振り役のアメリカ(メジャーリーグ)の実力を認めざるを得ません。いずれにしても今回の日本チームの優勝によって、これまでWBC参加チームが「メジャー」を代表するアメリカにむかって舟を漕いでいたものから、大会そのものを目指す(それゆえベースボールがアメリカの象徴と捉えられるよりもより普遍性を獲得でき、そのことがベースボールを各国により普及させることによってそのルーツと最強のリーグというコンテンツを持つメジャーリーグの興行面での思惑とも一致するものであったとしても)楽しさを観るひとに伝える点でもそれ自体とても意義ある一歩となるように私も感じました。