an island~an extract from a hidden ship`s log~10.closeby a hotel.

船員はカフェに寄り、その店長らしき男に「港のある都市についてご存知ありませんか。その道順を伺いたいのですが。」と訪ねた。その男は「よく分からないが、あなたが目指すのがこの里でないのなら、この里には路は一本しか通っていないから、いずれにしろ君が来た方角と反対にしばらく進むしかないね。それは古代の人々が石を敷き詰めて舗装した街道で、その路をいけば、やがて絹糸でできた滝に至り、涼やかな風やどる森にも近づき、その頃にはあなたにも次の街が見えていることでしょう。」と、傍らの藤色の毛布の上の未だ小さな白い子猫の頭をゆっくり撫でながら呟くようにいった。朝早いためなのか、子猫は眉宇を閉じて眠そうにただ撫でられていた。船員はともかく歩くことにした。船員は小さな言の葉がびっしりと織り込まれたような川のせせらぎを心地よく聞き、敷き詰められた石の一つ一つを足の親指の裏側でしっかりととらえながら歩を進めた。初秋を含んだ夏の日差しは既に柔らかく地上にふりそそぎ、船員は歩く度に気持ちがすっきりと澄んでゆくのを感じた。平らな路をしばらく歩き、お昼を過ぎた頃、船員は路の先に井戸を備えたそれなりに大きな宿らしき建物があり、その前に凜として、くっきりとした輪郭の樹木が木陰をつくっているのを目にした。船員は少しの間休むことにして、その木陰に近づいたそのとき、宿の中から主らしき身なりをした男が敏捷な身のこなしで飛び出してきてこういった。「君は旅の人だね。よかった今日だけはここに泊まりなさい。」と言った。船員は「よいのですか。」と言うと、男は顎を僅かに空に傾けて「無論。ところで君。この土地は遙か遠方まで続く王領であり、はっきりとものをいう所である。君も男らしく明確に強く主張したまえ。」と意外に低い声で言うと、仁王立ちして「君はこの宿が泊まりたいかね。とても荘厳な造りであるが。」と尋ねた。船員は「お言葉に甘えて答えます。今日はここには泊まりたくありません。私はいつか松や竹や楓の小さな森が佇む瀟洒な中庭で、夜空に浮かぶ月の光を浴びて眠り、朝の日を受け、鳥の囀りや羽の音を聞いて目覚めてみたいと思っています。だからこんな重々しい建物は遠慮したいと思います。」と言った。男は「やり直し。」とだけ、大きな声ではっきりと言った。船員は「今日は恐縮ですが、遠慮したいと存じます。じつのところ野宿でもかまわないと思っていたものですから。」と言った。男は「もう一度。」と、また一層大きな声で言った。船員は「別の所に泊まります。」と大声で言い返した。男はやおら怒り出してこう言った。「君にはほんとに失望した。この建物はこの街道を歩む者全てが泊まらなくてはならない崇高なものだ。路は一本、宿も一本。これこそが男だ。そもそも別の選択肢などこの世に存在しえない。それにね。君。ここはかの王領である。何か問われたら、はいと大声で答え、短く肯定するのがルールだ。それを知らないとはじつに半人前である。とっとと帰りたまえ。」と言った。船員が「あなたは法を司る方なのですか。」と言うと、男は胸を張って次のように答えた。『分からないのなら改めて言おう。ある時王の一行がこの街道を通った。そのとき、私の宿の者が誤って2階のバルコニーから鉢植えの木を落として王の頭にあてて割ったのだが、そのとき王は眉間から血を流し、激怒のあまりか顔を赤らめて、1階に降りて頭を下げる私を持っていた杖で何度も殴りつけた後、こう言われた。「よく聞け。この国の土地、降り注ぐ光やさわやかに渡る風、住む人はおろか、その髪の先端からつま先まで結局のところ我と一心同体も同然である。よって、朕はお主を決して責めぬ。いまこんなに赤いのは、怒っているのではなく、真剣に叱っているからである。それも我が身なればもはや深く穿つような自省と変わらぬ。私がこのように目に涙を浮かべるのは、傷の痛みなどではなく、自らを強く罰しなければならないというこの厳かな行為のためである。そして、また朕はこの己を蹴る痛みに耐えようとしている。」と。王はこう早口で言うなり、さらに私に蹴りを数回入れた後、馬を駆ってそのままどこかに去られた。しばらくの間、私は感激のあまり、気を失うほどの衝撃を受けた。そう、もう君も理解したように、その時はじめて、私は自分も王であったことを知ったのだ。もう一度言おう。王の命により君は断罪されるべきである。」と言った。船員は「あなたの宿に泊まるように王は私に命じたのですか。」と尋ねたが、男は「我は既に王であり、法に等しい。王にたてつくとは何事か。抗弁は国家への反逆と見なす。さっそく王に連絡しなければならぬ。」と言った。船員は「あなたが王であれば、ここで施行なされませ。私を斬ることができますか。」と言った。男はさらに胸を張って「王は自分で斬らぬ。これもやはり国を守る決まりごとである。私から王に反逆を企てるものがある旨、しっかり伝えることとする。これで我も王の覚えが飛躍的によくなるであろう。君も私の役に立つことができ、いわばこの上なき名誉でもある。」と言った。船員は目眩を覚えたが、そこに一人の細身の人が現れた。彼は頭は小さな真紅の意匠が施されたしっかりとした帽子を深くかぶり、美しく映える眉間にわずかに皺を寄せて、左手に辞書を、右手には錫杖を持っていた。「久しぶりですな。宿主殿。これは私の友人です。あなたとは違ってだいぶ風変わりですが、これからこの先の街まで同道する予定であったので、申し訳ないが引き取りますよ。」と言った。男は新たに現れた人の錫杖を見て、「おお。その錫杖はあなたが私よりもより一層王であることを明示する印ですな。では王に私の犠牲を伴った比類なき忠義と献身について懇々と説いてくれますように。」と言って、宿の奥にひっこんだ。その後、宿の中から、「次回は必ず仕留める。」という大きなうなり声が聞こえた。船員はその細身の人に丁重に礼を述べた後、宿の主が追いかけてくるような微かな気配を感じながら、再び歩き出した。