island~an extract from a hidden ship`s log.17.an orchard and a farmer

路は静かな秋の気配に包まれて、船員のこめかみのあたりにも心地よいくらいのひんやりとした音色をかえした。船員が尚も路を歩くと、路の左前方に広大な敷地に地平線の彼方まで続くような果樹園らしき森のような緑があらわれた。とくに壁や柵で囲われているわけでもないようだったが、果樹園のある風景にはどこかゆったりとした時間がすっぽり収まっているような陰影を周囲に投げかけていた。路近くの一角には果樹園で実った果物を保管するためなのか、それとも醸造するためなのか純粋な赤い煉瓦造りの大きな倉が幾つも立っていて、その赤い煉瓦の表面をまだ緑色をした蔦が間隔をあけて絡まっていた。その赤い倉のそばには、丸いテーブルが複数置かれていて、長い背もたれのついた籐の椅子がそれぞれに三つ添えられていた。籐の椅子の一つが規則的に揺れているのに気づいて、船員が近づくと、男がひとりで読書をしていた。その男の目の前の円いテーブルには、麻で織られた明るく白い布がふわりとかぶせられて、その布の上には帽子がひとつ載っているのが目に付いた。その帽子は深い緑色の布地でできていて、こめかみの位置から耳元にかけて銀色の巻貝に小さな星を加えた絵柄の刺繍と黄色の羽根の縁を橙色でグラデーションをかけた絵柄の刺繍が丁寧に縫いつけられていた。その帽子の隣には青と白があいのこになった陶器づくりのポッドに紅茶がはいっていて、そのそばには丸い紺色の器に入った薄茶色の角砂糖と、たった今まで仕事をしていたのか、ひび割れた革製の手袋がそっと置かれていた。船員が「こんにちは。お邪魔ですか。」と言うと、男は静かに笑って、「こんにちは。少しも邪魔などではありません。みな読むのであれば別ですが。休憩を兼てすこし勉強をしていたのです。造園にも読書は必要なのです。とはいえ、もちろんお客様は大歓迎ですよ。」と言って、桜色の本をテーブルに置くと、そばの籐の椅子の一つを船員に勧めた。その本の背には「続星空の物語」と記されていた。船員が椅子に座ると、男はわずかに腰を浮かせてポッドを手に取ると、白いカップになみなみとついで、船員の目の前に置いた。男は籠の中の缶をあけて、そっとお菓子をとりあげて、中央の皿にうつした。「桃のジャムや林檎のパイもありますのでどうぞ。」と言うと、またゆっくり籐の椅子に腰をかけた。紅茶は角砂糖の甘みを吸ってあくまで丸く、おっとりした味わいで、船員は自然と自分の口角が上がるのを感じた。船員が「とても気持ちのよい場所ですね。それに林檎に梨、葡萄もとても豊かに実っていますね。」と言うと、男はきりっとした口元をわずかに緩めて、目尻をすこし頬に近づけると、「ありがとう。果物はこの大地と空の結晶でもありますからね。果物は実際に実る前からこの世界に存在するものでもあるのでしょうけれど、この場所に実ったことの方により多くの意味を見出したいものですね。」と答えた。船員は「果物はある側面では生き物のために実るとお考えですか。」と尋ねると、男は「果物をおいしいと感じたり、美しいと感じるひとの方に私は救われる気がするのです。共存と共栄のための自然の智慧かもしれませんが。」と答えた。船員は「あの人たちは何をなさっているのですか。」と尋ねた。船員の視線の向こうには、紫や青や黄色といった色彩豊かな更紗を身に纏ったひとびとが、葡萄の房のようなゆるやかな首飾りを身につけて、おもいおもいに枝を整えたり、あるいは話し合ったり、土地を耕していた。男は「私もそうなのですけれど、果樹園を造り続けているのです。私たちは果樹園の仕事の中でも、とりわけ土壌を育てることを大切にしているのです。」と言った。船員は「果物の木が育つためにはやはり土壌も大切なのですね。」と言うと、男はゆっくりと頷いて、「もちろん木のお手入れも重要な仕事であるのに違いありませんが、果物が甘く育たなかったり、あるいは木によって果実の大きさや甘みに大きすぎるバラツキが発生する原因は、私たちの研究によると、土地にあることが多いようです。」と言った。船員は「木を育てる手法には各々の方法論があると思いますが、その点はいかがですか。」と言うと、男は「無論そのとおりです。それに木によってもひとつひとつ生育の条件や状態は異なります。だから個々の事情について個々の意見が存在するのは当然です。しかし、この果樹園がいかに広大であっても、この場所に存在するという限界は抱えているのです。ときには利害調整も必要になります。とくに私たちは人種も、生まれも、性別も、年齢も、おそらくは服装の趣味や食物の好みも異なるひとりひとりが集う集団です。そこで私たちは、この果樹園の共通の問いと基準を定めているのです。私たちは「私たちの果樹園でもっとも甘く豊かな果実を作るにはどうしたらよいのか。」という根幹の問いを常に問い続けた上で、果樹園とは私たちにとってどんな場所か、将来どんな場所になってほしいのかを定期的に考えて、この果樹園が私たちの果樹園である、あるいは私たちの果樹園であるのにふさわしいいくつかの基準を定めているのです。その基準のひとつが私たちの考える土壌について記述なのです。私たちは問題は個別に発生することは認めた上で、議論のはじめにはこの問いや基準についてまず話し合うことにしています。そして、強力な権力で介入することを選択しないのであれば、問題は全て発展的に解決する必要があると私たちは思っているのです。」と言った。船員は黙って頷いた。船員が少し目を遠くに向けると、ある部分の土が岩場のようにごつごつしていることに気づいた。船員が「あの場所の土地はだいぶごつごつしていますね。」と言うと、男は「よく気づきましたね。あの場所の土は岩のように硬く、触れれば怪我するかもしれません。あのような場所に命を育む水をいっきに運ぼうとすると、時に溢れて他の場所に影響することも、この果樹園は連綿と彼方まで続くところですから、あるようなのです。私たちは、土地を一様に一律にとらえるのではなくて、個別の特徴を見定めたうえで、特定の場所についてはゆっくり、望ましい方向から耕やすことも場合によってはやむをえないと考えています。」と答えた。しばらくすると男は立って、「そろそろ仕事に戻らなくてはなりません。どうぞごゆっくり。」と言うと、別のテーブルの上に置かれていたベージュのコートを羽織って、果樹園の木々に静かに溶け込んだ。辺りを夕闇が包む時刻がまもなくやってくるようだった。