A diary20150104

皆様、正月の休暇をいかがおすごしでしょうか。

 

最近部屋にも加湿器を入れまして、ますます体調がよくなりました。

 

先日ふとした瞬間に細長い額縁を思いだしました。

その額縁にはなにやら四字熟語のようなものが書かれており、子供の時分には目には入っていてもさして気にもとめないものでした。父方の祖父は私の生まれる直前になくなっているので、親戚の年長者や祖母から、造り酒屋が家業で県議会議長を務めた先祖から分家するときに書いてもらったものだとの説明を、そういえば受けていたのでした。叔父によく似た姿で写真に写るその先祖が議長だったのは、たしか1929年の世界恐慌のあたり。その後の戦争で本家分家あわせて相当の男性がなくなったようですが、それでも100年は経っていない。それを思いだすと、幼い時分にご近所や親戚など、まわりをやわらかく包んでいた空気のようなものを理解できる気がするのです。

組織や集団の伝統や文化は、生きている当事者からすると当然受け継ぎ、受け継がれているとおもっても、ときに硬くなったり、目減りしたり、曲がったり、そして隠れたりする場合すらあるのことは人の世ならば仕方ないことでしょう。そして、そのまま消えることもあるでしょう。この点で、体内のどこかにいつのまにか記述されるほどお手軽で都合良くはできてはいないことでしょう。しかし影響がないとはいえない。

けれど、痕跡のようなものがあれば、時を経ても解凍されて、誰かに気づきを与えるかもしれない。無論、血縁や地縁だけから伝統や文化、習慣を受け継ぐのであれば、芋洗いを習得した猿の集団とまだあまりかわらない、ということにもなりかねません。正と負の効果をあわせ持ちながら、言葉、物品や建造物、最近では映像やWEBも通じて、(実際に会うほうが効果的だとしても)2000年前でも、別の国からでも、異なる空間の人々からも受け継いでこそ、人間は人間でいることができ、これまで文明が築かれ、これからも発展していくのでしょう。最近中東の「イスラム国」についての情報を耳にすることも増えています。(同列に扱うわけでは決してありませんが)歴史上の「聖戦」、その他の排斥運動や革命が想起されます。この時勢、世界や日本の歴史を改めて読む気にもなったのでした。