The dove 8.The surface and depth stratum 〜the transformation and fission〜

 彼は荒れ模様の男達と鳥をみていると、とても酔うどころではなく、わずかな囁きや兆しにさえ、緑色の無数の葉に強い雨と不規則に変化する風が絶えず殴りつけるような心のざわめきを感じるのだった。彼が少しの間、咬み合っている鳥たちを目で追っていると、ただ一匹の鳩は、小突かれ、逃げ回るうちに輪郭をわずかに変え、ひとまわり大きくなるとともに、脚には力強い爪が生えて、嘴もより鋭く前方に張り出した。鳩は鷹になった。彼がおもわず傍らの鳩の方を見ると、鳩は「驚いたかい。」と愁いを含む口調でいった。「どうして変わるの。」と彼は鳩にそっと聞いた。「鳩だって攻撃に晒されたり、追い詰められたりすれば鷹になっても不思議じゃない。自衛とは本能であり、攻撃だって生命力の顕われだからね。」と答えた。「どうして鷹や鳩の形をとるのかな。」と彼が鳩に重ねて尋ねると、鳩は「もちろん鳥を鳩や鷹としてだけでなく、ただ鳥として受けとることもあるのだよ。」と前置きした上で「当初は、着陸した際の人間の思想や知識、個性、それに固定観念などの心理面や境遇に鳥の持つ記号や特徴などが複雑に影響するらしい。それに鳥というものに慣れているかどうかもかなり関係ありそうだね。そして、ある一人の人間に注目すれば、個別のテーマについて認識した一匹目が鷹である場合、記憶も再構成され、意識しないとそれ以降も鷹になる可能性は高まるようだね。他には今君が見たように攻撃を受けたと感じる時もあとから鷹になる例だし、大きな鷹のつくる影も鷹になるのことはよくある話だよ。」と鳩は言った。彼がさらに「鳥はそのものは生まれたときからずっと変わらないのかい。」と聞くと、鳩は「ある程度そうかもしれないね。ある鳥の総和を一本のラインに置き換えると、混沌から鳥に変わるのに立ち会う一次取得者や、二次取得者の段階で大きく特徴や内容が決められるから、そこで大きく屈折する可能性は高く、その一方でそれ以降の取得者の鳥自体への影響はだいぶ逓減し、かなりまっすぐに近い緩やかなカーブを描く傾向もあるようだね。その鳥から人間が何をどう受け取るかは別としてね。ただし、途中で新たに生まれる鳥や僕みたいな複合体は例外かもしれないね。」と言った。彼がちょっと心配して「君も鷹だったことがあるのかい。」と聞くと、鳩は「僕は幸い、それほどじゃないけれどね。それでも僕だってある程度鷹であることに君はもう気づいているんじゃないかな。それは自衛のためなんだよ。それに僕たち鳥が群れをなす場合、たとえ鳩の群れであっても一定の鷹も必然的に一緒に飛ぶものなんだ。防衛のための自然の智慧なのだろうね。結局、鳩や鷹はいわば表象であり、いずれにせよ僕らが鳥であることにはかわりない。でも、」と一拍おいて、『君に着いた夜、君から「鳩」と言われたのは実のところかなり嬉しかったな。』と答えた。「鳥には罪ないのにね。」と頬杖をついて彼がいうと、鳩は苦笑して「鷹は攻撃を重視するから、他の鳥よりもすこし視野が狭く、一方で遠くからも細部をはっきり見るらしい。そして実際に誰かに攻撃を仕掛ければ、それはもはや事実だからね。その結果、内面も周囲の状況も攻撃に適した形に最適化され、鷹の傾向がさらに強化されて、やがて真の鷹が生まれたことは歴史的に珍しい事例ではないよ。」と言った。「今、鷹になったあの鳥はどうかな。鳩に戻る可能性だってあるんじゃないかな。」と彼がいうと、鳩は「そうだね。鳩も鷹も所詮鳥であり、それを鳩や鷹として見、行動するのはあくまで人間のほうさ。でもあの鳥たちの乱闘ぶりはちょっとひどいかもしれないね。美しくはないね。」と男たちと鳥たちに嘴を向けた。男たちは、一様に引きつったような空虚な笑いをその口の端に浮かべていた。彼は北の国での出来事を目の前の風景に重ねながら「その首飾りも少なからず影響しているのだね。」というと、鳩は何も言わなかったがわずかに頷いたようだった。
 それからしばらくしてあの男たちのテーブルにある一人の男がやってきた。中肉中背で、黒髪をしている点などはいかにも土地の人間であるようだが、男達と既に面識があるのか挨拶もそこそこに席についた。この男は歯切れのいい口調と南国の人間にしてもやや大袈裟な所作をしており、服装はこざっぱりとしていてなにか商売を営んでいるようであった。他には特に変わったところはなかったので、彼はビールの味になんだか飽きてしまい、店の奥の厨房から溢れる香ばしい豚肉の薫りを今更ながらお腹に感じて、簡単な食事を頼もうと店員を探したが、店のどこにも店員の姿はなかった。仕方ないので、彼はぐっと残りのビールを飲み干したが、その苦さに思わず気をとられた。気づくと鳩が彼の袖を嘴で引っ張っている。彼が顔を上げてみると、男たちと鳥たちは相変わらず不規則な騒ぎを繰り広げていたが、新しくやってきたあの男の肩にはたった今壁から生まれたかのように生々くて輪郭のまだはっきりとしない一羽の鳥がその姿を顕わしはじめていた。そして男の鳥の胸には彼の鳩によく似た首飾りが怜悧な光を湛えるいるのであった。彼がおもわず息をのんだまま何も言わずにいると、鳩が静かに「鳥は分化するのだよ。たとえそれが自然なことであってもね。」と小声で彼に囁いた。その日、彼は家に帰ると腕に抱いていた鳩をソファの上にそっと乗せ、オレンジと辞書を紙袋から取り出して、木製の黒い机の上に置いた。その後彼は風呂に軽く身を浸かっただけで数分で外に出てしまい、はやく休もうとそのままベッドに潜り込んだ。しかし、休むどころか頭はぴんと張り詰めていて、彼がようやく微睡みはじめた頃には、黄色く透き通った夏の朝陽が部屋の四角い窓からカーテンの間を縫って部屋の中に細長く流れ込んでいた。