not god but king

マイケル・ジャクソンさん死去のニュース、わたしも一視聴者として驚きをもって見聞きしました。
日本のニュースやCNNなどのポッドキャストも何度も伝えるなど、存在の大きさに改めて感じ入りました。1970年代も後半の生まれの私にとっては、スターになる過程を見ることができなかったためか、物心ついた時には「アメリカ発のスーパースターってこういうひとなんだ」と思うくらいでした。それでも容姿といい、声といい、ダンスといいどれもあまりに際立ちすぎていてどのポイントを抑えることによってバランスがとられているのだろうと今でも見る度に新鮮な興味を覚えます。ロンドン公演を宣言する時のような独裁者を彷彿とさせる容姿や仕草など好みの分かれる要素も十分に持っているようですが、もし神様がどの人間にも本物らしき果実とそうでない果実を一定の割合で作るようにきめているとするなら、完璧を期した楽曲やライブパフォーマンスを支える構造として、数々のゴシップや「ネバーランド」などが必要になったのかもしれません。いずれも桁外れの規模であることは確かですが、光と影が存在するところから、やはり一神教の神様というよりは、やはり人間の側にあって「ポップスの王様」と呼ばれるのがぴったりすることでしょう。けれど、彼ほどの「冥福」はいったいどこに祈ったらよいのだろうと少々戸惑うばかりです。