chamber music

私はいわゆる無音の場で黙って座っていることがあまり好きでない。室内であってもなんらかの話し声が聞こえたり、音楽が流れている方がよほどリラックスできるし、集中できる。
無音の空間はメリハリをつけにくいと同時に、音声が存在しない部分の空白をいつもの人間関係や個々の心理状態などの本来の内なる声やPCの音といった豊富な何かが、無意識のジェスチャーやため息、連続的な機械音などという形で浸食してあっというまに埋めてしまう、と思う。その結果、その場の特徴が露骨に表れて、場によっては人々をいつのまにか疲れさせてしまうのではないかと思う。一般的なオフィスのように自分の顔の前、数メートルのところに別の人の顔がある場合はなおさら。対面かつ無言で座るという発想は、相互理解や監視といった効果はあるものの、ストレスを一定の力でかけてその反発力を利用して仕事の成果を上げる手法や個々の競争を促進する手法の一端であるような気がして、何をしたらよいのかが正確に把握されている欧米キャッチアップ志向や右肩上がりの世の中では機能したそれも、そろそろ見直しの時期にはいったのではないかと思う。日本人はまじめだから、あまり無駄話をしないで仕事をする、あるいはそれを暗に求められる、と意外とクリアに信じられているのは現代のオフィスに限っては事実なのかもしれない。けれど、クリエイティブな仕事はもちろんのこと、昔の人は田植えの際は田植え歌を、船を漕ぐ際は船漕ぎ歌を、糸を紡ぐ時は糸紡ぎ歌などを口ずさみながら、リズムをとって結構楽しく仕事をしていたのではないかと思う。友人と山に登った際も話したり、時には歌を軽く歌いながら登った方がよほど疲れそのものは軽減される。それなのにオフィスにそれが一般に認められないのはなぜか、という疑問は残る。プロセスが見えにくく、結果への評価もほとんど一定だから、無言でまじめそうな姿勢が評価されてしまう、あるいは評価されるとの暗黙の集団の合意がいつのまにか形成されるのではないか、と思う。昨今の見える化が一般のオフィスにも自然な形で浸透した方が、プロセスやアウトプットも正当に評価され、働く人間にとってもかえって自由度が高まり、結果として人にやさしい環境を作ると思う。バッハのような音楽で眠くなってしまうのはいけないのでしょうけれど、ノイズにもう少し寛容になって、賑やかだからこそ、アイデアも生まれ、生産性も高いオフィス環境をつくる工夫をする時期ではないかな、と思います。

追伸)さいたま市では、連日の猛暑。適度な高さの木が無いわけではないけれど、今年はまだ蝉の鳴き声が聞こえていません。