The simple tales to hold the earth by its tail.11.a strange carriage.

昔々、遙か西の国の港を巡り、やがて未知の南の国を目指したという船団が、坂の多い港町に寄港したあと、暁に遙か遠くの洋上へ向けて帆をはり、今日も尚秋から春にかけて大陸沿いにひんやりと冷たく吹く風にのってしばらく航海していた頃のこと、丸くはずむ月が、夜空に浮かんだ明るい夜に、帚星が尾をひいたその時、白鯨の群れと遭遇したと航海記録に残っている前後のお話です。
冬の寒い夜のこと、山裾と海の間に広がる野原の一角に一台の馬車がとまっていました。この土地にもう長い間住んでいるいる妖精達が、おもいおもいの出で立ちで馬車のまわりにやって来ました。「この馬車はどうもみょうだね。」「それにずっとここにとまっているじゃないか。」「今時駐車するにも料金がかかることを知らないようだね。」「まったくけしからん所業である。」。妖精達は馬車をなんとか動かそうとすることにしました。ある丸太のような腕をした妖精がいいました。「夜の心地よい音楽がいけない。銅鑼をならせ。」。馬車に最も近い所に立つ妖精達が、渾身の一撃を銅鑼に当てて、「グワーン。ガシャガシャ。グワーン。ガシャドン。」と鳴らします。銅鑼の音とも言葉ともつかない、重い空気の振動で、馬車のまわりの草木も眠る動物たちも、建物もビリビリと震えます。そばの妖精が「いいか。こういうことには実はコツがあるのだ。馬車が目を開けたり、話そうとした途端、我々は全ての動作をやめて擬態をとらなくてはならならない。」。別の妖精も、「取り繕うことこそ真実を示すと古典にもある。そうでなくてはいけない。」と言いました。しかし、銅鑼をいくら鳴らしても、馬車は動こうとはしません。とんがった帽子をかぶった妖精が「どうもこの馬車はかまえているようだ。」と言いました。別の妖精が「まわりが見えるのがいけないのだ。猪突盲進こそ馬車に必要なことであると聞いたことがある。読んだことこそないが。真実に違いない。馬車の横っ面に衝立を取り付けるのがよい。」と言いました。隣の妖精も「猪突盲信とはいい。妖精もそうあるべきだ。」と言いました。妖精のうち、大工の心得のある者がやってきて、馬車の横に大きな衝立を取り付けました。しかし、馬車は動こうとはしません。金縁の眼鏡をかけた妖精が、「星空や月が見えるのがいけない。うつくしいものは勇猛さを失わせるのだ。」と言います。別の妖精も、「私もそう思っていた。幌ををかぶせればよい。」と言いました。妖精は馬車に幌を、一枚、二枚と馬車の頭に掛けるようとします。妖精の一人が「君たちは何も分かっていないね。幌の上手なかぶせかたというのはね。君。前の幌よりもだいぶ重く大きい幌を毅然と大きく振りかぶって行うのだ。これこそ世の習いである。こうやって振りかぶって、仰々しくかぶせるくらいで丁度良い。」と実演します。幌はさらに何枚もブワブワバシバシとかぶせられ、その重みで馬車の車輪は、すこし柔らかい地面にくいこむようにも見えます。しかし、それでも馬車は動こうとはしません。ある妖精が「車輪が四つもついているのがいけないのじゃないか。車輪は一つ、これこそがものを動かす鉄則である。」と言いました。妖精達は、車輪を一つにくっつけようとギシギシギュッギュッとがんばります。ところが、どうしても一つにはなりそうにありません。ある妖精が「くっつけられないのであれば、横に杭を通して一つに纏めてしまえばよい。」と言いました。妖精達は。トントンカチカチ作業を行います。しばらくして、四本の杭でくくられた馬車ができあがりました。しかし、それでも馬車は動きません。また巨大な頭をした妖精が「杭でもだめならば、他の車輪は馬車の腹にあげてしまえばよい。」と言いました。妖精達は、「そうに違いない。」と言って、トントンカチカチと作業を行います。三つの車輪が馬車の横にあげられると、馬車は気のせいなのか、少し傾いたようです。ところが、馬車は動きません。やがて、夜も白く明けはじめ、妖精達はひとまずねぐらに帰ることにしました。しばらくして、旅の楽団が、楽しげな音色を響かせてやってきて、この奇妙な馬車を見つけると、やはりあのごてごてした飾りのようなものを一つ一つバリバリはがして、たくさんのひとが乗れるように、屋根や敷居も外しました。そして、車輪にも、石畳や草原の土の上で、まわりに心地よい音を響かせる不思議な楽器を取り付けました。楽団員の手で背中をそっと押された馬車が、旅の楽団を乗せて、次のあたたかな土地に向けてゆっくり、静かに走り出したのはそれからまもなくのことだということです。
 笛と竪琴、バイオリンを抱えた吟遊詩人の一団がこの話を耳にし、箱型の馬車をひく馬を駆り、皆で千里万里を旅した後、森と水の豊富な東の国に伝えたそうです。やがて、数々のお話はみな、柿と夏みかんの表紙の平たい絵本になって、雪の降りしきる夜に、親たちが暖炉の前で、銀色のさらや燭台の明かりに照らされながら、子供の愛らしい手を握って優しくあやしながら、安らかな呼吸のなかで、読みきかせるようになったということです。