The distorted and intricate arrows ChapterⅠ 1. a prologue

空気がわずかに爆ぜている、と彼は思った。しかしなぜこの段階でここまで、と彼は自問するのだった。ここは東京に本社を置くIT関連企業Qグループの一企業であるR社が入る、優雅といってよい姿で海の側に立つ15階立てのビルの10階。この海のよく見えるフロアに人事部と総務部、経理部が居をおいている。人数はざっと見て100名を超えるくらいか。総勢5千名程の企業の本丸の一角としてなかなかの壮観である。彼はこの会社の子会社であるS社に1ヶ月ほど前に中途入社し、北海道で入社研修を受けた後、人事業務の子会社への一部移管の調査業務に1週間ほど前に携わっている同じZ社の男性の補助をするように言われていた。その男は30代前半で小柄でひょろりとしたやせ形、課長補佐の肩書きをもっており、そういえば彼自身もいちおう主任として入社したことになっていた。しかし、社員数50名に満たないほどのベンチャー企業の20代や30代前半の肩書きがどれほどのインパクトをもつのか、と彼は思うのだった。人事制度など名ばかりの、設立して5年程の会社で補佐や主任、SVやASVだのと肩書きが微妙に重複するような形で積み上がり、やっと階層構造をなしていることの方がこの場合少し気がかりだった。その制度を見ても、評価部分の規定はどうやらないようで、さほどクリエイティブでないこの業態のマネジメントの方法として、上に引き上げるからがんばれ式だけが唯一の安易なカンフル剤でないことを密かに祈っていた。彼にしてみてもそれほど本意でない転職を経る中でこれは働きながら関心の高い分野の大学院にでもいって道を開くのがよいかと思う矢先でもあったことが、この場にいる心境に複雑な陰を投げかけているのかもしれなかった。そして、この気持ちは入社する時の説明と今回の業務がすこし異なるのに、30代後半に入ったプロパーの取締役に「移管後は君に任せるから。詳しくは先に入っているあいつに聞いてくれ。」と元気に言い切って調子よく送り出されてしまったこともこの予感めいたものを支えていたのかもしれない。今度は耳をすませてみたが、やはり音にならない何かの軋轢の音色が聞こえるようだった。人事部や総務部といえば、女性の比率も多く、営業部などと比べて緩やかでしんとした空気が普通は流れていることが多い、と彼は思うのだった。そういえばいつぞや、商社の人事部に営業にいった際入るなり20代に入ったばかりの女性社員から、「なにか御用ですか。」と看護士が患者に言うように聞かれて「製品の説明に参りました。」となんだか安心してしまい、意気込みが空振りしてしまったことをふと思い出した。それに比べてこの場では、一つのフロアの人数が多いことを考慮にいれても、行き交う男性社員はもちろんのこと、女性社員などの動きもどこか肩や膝などの関節が鋭角的に前に突き出すように交差して、ピリピリとした雰囲気を放っており、一つの物音に対する各自の反応もかなり早いように見受けられた。

次回未定です。