ときには裸の言葉よりも

ときにはむき出しの言葉よりも、
比喩であったり、余白を含むような言葉の方が相手により伝えられる場合もあるのではないかと思います。

もちろん、「超○○」「○○やばい」も気持を要約し、一元的に伝達するのにはよいのでしょう。

しかし時としてこの手短な要約言葉は、クリスマスプレゼントを包装なしで贈られ、原価と売価を説明されるようないたたまれなさを感じます。(商売的にはとても重要であるにしても)

より複雑であったり、言葉を受けとった相手に何か考えてほしいと願う場合、(とくに直接会って話せない時などは)理解する際に想像力が必要な比喩的表現の方がかえって真意が伝わることもあるのではないかと思います。