A fruit tree at the base of mountain.1.the seedling looks like "eye"

それはとてもちいさな芽でした。まだとてもちいさく、そして半透明でしたから、はじめのうちはそのおぼろげな萌しのようなものが果たして「芽」であるものかどうか、どうにも判断がつかないのでした。それは空の色を映し、朝陽のように燦燦としたり、青く青く澄み澄みしてみたり、夕陽に似て赤赤としてみたり、白く薄く絹のような月光をまとったかと思うと、今度は、みな眠る頃合いに夜露の透きとおる雫を袖にそっと受けたり。けれど、それはそれなりに生えてはいるようなのでした。もちろん、嵐や日があまりに強く照りつけるような時には、それは森の密な緑の空間のなかで須らく丸くなってじっとしていたものです。誰にも気づかれずにあのなにげない森の片隅にあっても、けっして不思議ではない植物のひとつであったことでしょう。けれど、みなが未来のために森に存在する様々な萌しが模索されるこのごろ。探検隊に加わる画家の一人のまだなにも描きこまれていない白いキャンバスに照らすと、ほんのわずかにそれが翠色をしており、葉の先端がくるっとまるくなっていて、どうやら「芽」であると見られたのでした。やがて皆がその芽を知る頃、季節は秋になっていたのでした。楓の赤やポプラの黄にくらべれば、その微かに翠色の芽はどうにもおぼろげで、ぼんやりとしていましたから、存在すると分かってはいても、そっと光を当ててはじめてそこに芽のようなものがあることにあらためて気づく具合です。ともすると背後に溶けかねない彩りを、前からしっかりと写真に撮すのに似て、芽を視界にとらえるには寛容な気持ちとおちついた呼吸が必要のようです。そして、光をそっと当てるのも、受けとるのも、自然であることを理解するような気持ちになることは確かなようでした。