island~an extract from a hidden ship`s log.21.among starlit sky

そのひとが店を出るとほぼ同時に、今まで店の奥にいたのであろうか、店員が3人店内に顔を出した。店員たちは店の主人や男たち、船員を眺めて何か言いかけたが、主人がそれを手で制して、「分かっているな。これまでと同様、今回も店内では何もなかった。さあ、君たちもさっさと外にでたまえ。」と叫んだ。男たちは口ぐちに「ここにいる我々が知っている問題に外も内もあるものか。考えてもみたまえ。それにこの店内だって鏃でずいぶんと傷ついているではないか。」と言って、また議論が始まった。船員は先程、店から滑り出たひとが気になって主人に分からないように、静かに外に出た。そのひとは店のすぐ前に立って、しげしげと瞳を大きく輝かせながら空を眺めていた。夜はあくまで深く、澄みわたった月と、一面に銀色の砂をそっと振りかけたように小さな星が数限りなく、空に上がっていた。船員はそのひとに近づいて、目礼すると「とてもきれいな夜ですね。」と言った。そのひとは「そうですね。そして秋の空はとても優しいですね。これも宙の恵みです。」と言った。船員は「先程はたいへんな事態でしたね。」と言うと、そのひとは「そうですね。あなたもお気の毒でした。それにしても、動物は攻撃する際に必ず目を細めるようです。視野の狭さがさらに攻撃性を生み、自らの主張を無理に外部に反映させようとする場合や操作しようとする時に攻撃が起こります。そして、たとえ攻撃に対する正当な防衛行動であっても闘いになることには違いありません。だから、私は祈るような気持ちで理性と感情の調和を求めて、時々こうして星空を観ることにしているのです。それにしても一昔前までは宙や空ももっと広い、そして未知の空間であるような気がしたものです。」と言った。船員が「そうですね。しかし、それも宙が拡大していく最中の、いわば過渡期的な状態であるのかもしれません。あなたがおっしゃるように社会の倫理や私達の移動手段、意識そのものも空間の広がりに徐々に追いつきつつあるのだろうと私は思うのです。私達はまもなく、自分たちの立っているこの場所も宙や空の一部であることに気づくことでしょう。結局、永遠の開拓地などは存在せず、もし探索することこそ最大の歓びであるとするならば、人は宙の歴史や自らの内側にこそ真の開拓地を求めることになるのかもしれません。」と言うと、そのひとは「私もそう思います。けれど、私達の立っている時代が緩やかに形を変える場所に立っているとするならば、私達の意識と行動が空間の広大な領域と私達の技術が結果として生みだしていく諸々の事柄にどのように寄り添っていくのか、智慧を集めて練り上げることがこれからしばらく一つの課題となることには違いないと思うのです。」と言った。船員は「私の考えでは、たとえ宙の事項であったとしても、漠然とした味気ない暗闇のなかの出来事ではなくて、あの空に輝く星星ひとつひとつと私達の立っている場所を結んだ空間を丁寧に、希望に応じて重ねたものが私達にとっての世界であると思うのです。」と言った。そのひとは微笑んで、「あなたのいた星やこれから訪ねる星も、この星空のどこかにあるのですね。わたしもそのうち密やかな橋を遠く星空のどこかに架けてみたいと思っているのです。」と言った。そのひとは胸元から小さな箱を取り出して、船員に渡した。船員は「私は煙草は吸いません。」と言ったが、そのひとは笑って「それはチョコレートの箱ですよ。」と言った。船員も可笑しくなって、「では頂戴します。」と言って、箱を開けた。箱は色とりどりの銀紙で包まれた小さなチョコレートに実が入っていた。船員がふと気づくと、白地に茶色の縞模様があいのこになった子猫がそのひとと船員の背後から歩いてきて、人見知りもせずそばに寄ると、高い声でひと鳴きした。船員はもらったばかりのチョコレートをひとつ子猫に分けると、子猫は更紗の上着から伸ばした船員の手に顔をそっと寄せて、耳をぴくぴくさせながら、小さな舌でチョコレートの実をぺろぺろと食べた。その時、街のどこからか、鐘の音が響いた。鐘の音はぐわんぐわんという低い音色を金属本来の細かくカラカラとした鈴のような音が早足で確かめて、街の城壁の内側で混ざり、建物と建物の密な空間を縫って、二重三重に奏でられて、やがてじんわりと街の隅々に浸みていくようだった。船員は「夜中に鐘が鳴るのですね。」と言うと、そのひとは「この街ではけっして珍しいことではありません。本来は時の鐘であり、街の位置を示すものでもあります。そしてこの地方の伝承によると、眠りを妨げようとする悪魔から人々を守るものでもあるそうです。」と答えた。船員が「街の人々が起きてしまうのではありませんか。」と言うと、そのひとは「どんな響きであろうと、そしてその音色が耳まで届いていようと、子守唄程度にしか聞こえない場合もあるのです。結局鐘の音を聞くことであっても、器だけではなく心の側の耳が必要なようです。」と言った。その時、坂に行き着く間際に佇む建物の2階の窓の格子がゆっくりと開かれるのを船員は目の端でとらえた。船員が「この美しい鐘の音が鳴るのをいつも聞くにはどうしたらよいのでしょう。」と尋ねると、そのひとは「私達の脳、いや心の中には外からの音色を溜めておく透明な水甕のようなものがあって、その水甕からじわりと沁みだしたものが心に響くといいます。その柔らかく綻びやすい水甕を歪めることなく、優しく丁寧に扱うことが必要であるようです。」と答えた。船員は「その水甕をどのように扱ったらよいでしょうか。」と言うと、そのひとは「呼吸をゆっくりと静かに整えて、水甕にゆっくりとさらさらとした蜂蜜を溜めるように聞くのです。できるだけたくさんの概念や観察のアンテナを立てることが重要ですが、すぐに判断しなくとも大丈夫です。そしてその水を溜めることで、自らに害が及ぶことがないことを理解することも大切であるようです。水甕には常に余裕があるのです。」と言った。そのひとがポケットからハンカチを取り出すと、辺りに茉莉花の香りが柔らかく漂った。そのひとと船員はしばらくの間、その鐘の音を聞き続けた。