an island~an extract from a hidden ship`s log~5.in a village

船員がその里にやっと近づいた頃には陽もとうに西側に傾き始めていた。里の東側には森が広がり、森とその里を隔てる小高い丘に木製の大きな風車がゆっくりと空に円を描きながら、風を柔らかくとらえては軋むような音を立てていた。あいかわらず道は舗装されず、その表面にはU字型の動物の蹄の跡が里に近づくにつれ、深くたくさん刻まれるようになり、足元に窪んだ陰影をつくるようになった。船員の靴は幾分汚れ、脹ら脛はもうだいぶ前から鉛のようになっていて、里の入り口をくぐった際にまたすこし濁ったような重みを増した。煉瓦造りの赤い街並みは、暮れかけの陽を受けて、輪郭から徐々に夜に馴染もうとしており、一方で街灯の明かりが刻々と強まっていた。近隣の街や畑から帰ってきたものか、人々は街の入り口すぐにある円形の公園の側の比較的大きなカフェにおもいおもいに集っては、安らいでいるらしかった。船員は、路側にはみ出した木製のテーブルのそばで飲んでいる男に「こんばんは。旅の者ですが。ここから港か、市場のある街にいく方法はご存知ですか。」と聞いた。男は飲みかけのエスプレッソ用の、男のごつごつした手に比べれば滑稽なほど小さなカップをコトリと音を立てて丁寧に皿に戻すと、顔をあげてこう言った。「さあ。私は知らないね。どこだか行ったことなんてないしね。なにしろここは田舎だからな。それにご覧の通り皆もっぱら自分の馬車を使うのさ。」と言った後、それでも気の毒になったものか「店の奥、そうあの赤々と灯った洋燈の所にいる男に聞いてごらん。いつも物知りだっていっているからね。都会にいたこともあるらしい。」と言うと、また視線を手元にもどして大事そうにカップに指を絡めた。店の中は、珈琲の濃厚な香りに満ち、平たい円形のテーブルが六つ七つ並び、十二、三人が静かに坐っていた。船員がそばを通るとその中の一人が「なんだあの御仁は。見慣れないね。」と傍らの男に囁くのが聞こえた。部屋の奥まったところにある洋燈の男の側まで真っ直ぐ歩くと、船員は一礼して「おくつろぎの所、恐れ入りますが、港にいく方法をご存知でしょうか。都会に詳しいあなたなら知っているだろうと言われたものですから。」と言った。男は自分の喉を確かめるように小さく唸った後、座ったまま船員に手を差し出して強引に握手すると、喉の奥を広げたような大きな声で「おお。君は私の見たところ旅の人ようだ。ようこそ我が里、そして我がもとに。よくきてくれた。」と言った。近くの弓なりのすらりとした形をした花瓶がプルプルと震え、花も少し揺れ、また周囲の人たちがそっとこちらに意識を向けたことに船員も気づいた。男の手元には彩り鮮やかな古代文字のような図柄の皿が置かれ、その上に果実を生地でしっかり編みあげたようなシナモンの香りのするパイと、微意玉くらいの大きさのチョコレートがたくさん積まれていた。男はそのまま手を引いて船員を自分の傍らに座らせると、「なにか質問はないかね。なんでも聞きたまえ。俺は常日頃から、思念や所作などは長い目でみても絵に描いた美しい餅にすぎず、言動こそが、いや実際に口にした言葉だけが真実であることを知っている。君もぜひそうでありたまえ。」と言って顎を上に突き出し、胸を張って片肘をテーブルにつき、脚を組み直して茶色の革靴のつま先を天井に方に向けた。船員は「港か市場のある街に行く方法を探しています。なにしろ帰らなくてはならないものですから。」といった。男はゆっくり顎をもと引き戻し、さらに首にくっつけると「そうであろうな。君は街の人の格好をしている。私も街に住んでいた頃はちょうど、君と同じような服装をしていたものさ。しかしね、何故本来の場所に帰る方法を忘れてしまったのだね。奈何ぞ。巣にかえる方法こそ動物、いや人間にとっても最も大事な生きる術であろうに。」と大きな声でいった。美しい花瓶がまた震え、今度はまわりの人が大きく頷いたのが船員にも気配で分かった。船員は「遭難ですよ。」と肩をすくめて答えた。「大の男が馬鹿なことをいってはいけない。遭難とはつまり心理的に責任を誰かに転嫁しているにすぎない。よく考えてみたまえ。否は自分にある。それが真理だ。」と言った。船員は「船に乗ることに決めたのは僕ですから、そのことは仕方のないことだと思っています。けれどこれから帰らなくてはいけないのです。」と答えた。男は「異邦人でもあるまいし。」と大きく唸った後、肩に力を入れて「では君。帰る方法は絶対に自分でみつけなければならないな。望んだ所で自然と翼が生えるわけじゃない。君だってそう思うことだろう。どうだ。」と言った。船員が黙っていると、男は「何故黙っているのかね。そうだ全て分かった。私が代わりに言ってあげよう。君はここに住みたいと思っている。君は心の底では木の実を集めて暮らしたいのだ。そう、いずれにしても私の言葉こそが村の見解だ。」と言った。まわりの客たちが頷いて珈琲を飲んだことが船員にも分かった。船員は「考えてみます。」と言って男に一礼すると、宿をとるため店員に教会の場所を聞いてその店から出た。